日本シリーズ初戦を引き分けに持ち込んだ32年前の名勝負

[ 2018年10月29日 16:43 ]

1986年10月18日、日本シリーズ第1戦の9回、西武・東尾修(右)から同点ホームランを放つ山本浩二
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 【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】広島とソフトバンクが初めて激突した日本シリーズ。第1戦は互いに譲らず延長12回の末に2―2で引き分けた。シリーズの引き分け開幕は1986年10月18日の広島―西武戦以来32年ぶり。私はその一戦を現場で取材している。

 旧広島市民球場。あの試合もスコアは2―2だった。しかし、ソフトバンクが5回に追いついた今回とは展開が違う。

 西武が2回、無死満塁から伊東勤の遊ゴロ併殺打の間に1点を先制。4回には1死一、三塁で伊東がスクイズを決めて2点目を奪った。先発の東尾修が8回まで散発5安打の好投を続け、西武が2―0とリードしたまま試合は9回を迎えた。

 当時の日本シリーズはすべてデーゲーム。午後1時開始の試合は太陽が西に傾き、長い影が三塁側から一塁側に伸びてドラマが幕を開けた。

 1死から小早川毅彦が初球のシュートを捉えると打球は右翼席へ舞い降りた。1点差となり、打席に山本浩二を迎えたところで西武の森祇晶監督が三塁ベンチを飛び出し、マウンドへ向かった。

 ブルペンでは若き速球王、渡辺久信が準備している。東尾は「交代か」と思い、逆に山本浩二は「代えるな」と心の中で叫んだ。1週間後の25日に40歳の誕生日を迎えるベテランにパワーピッチャーを打ち砕く自信はなかった。

 その叫びが届いたのか、森監督は東尾に「ホームランだけ気をつけろ」と言ってベンチへ戻った。

 すでに通算230勝を挙げていた熟練の右腕。そんなことは言われなくても分かっている。ここまで遊ゴロ、投ゴロ、空振り三振と完ぺきに抑え込んでいたミスター赤ヘルに対し、初球スライダーから入った。

 外角低めを狙った球は真ん中に入ったが、山本浩二のバットは動かなかった。同じスライダーでも狙い球ではなかった。

 秋口の旧市民球場は風向きが変わり、センター方向は押し戻されるが、ポール際は伸びる。鋭い読みで歴代4位となる通算536本塁打を積み重ねてきたバットマンは強くこうイメージしていた。

 「外角低めのスライダーをライトポール際へ」

 外角低めに照準を定めている打者にとってど真ん中は内角ぎりぎりの厳しいコースだったのである。

 2球目のシュートが内角に外れたあとの3球目。スライダーが今度は東尾が狙った通りの外角低めへ滑り落ちた。来た。山本浩二は左足をアウトステップしながら両腕を伸ばし、ピンポイントで「絶好球」を捉えた。

 打球は思い描いた軌道でライトポール際のスタンドへ吸い込まれた。自ら「バットマンとして18年間の集大成」と自賛する一発。これで試合を振り出しに戻し、延長戦に持ち込んだのである。

 西武は渡辺から松沼雅之、広島は川端順から津田恒実とつないで互いに譲らず延長14回、2―2のまま時間切れ引き分けとなった。当時は4時間30分を超えて新しいイニングには入らないという決まりだった。

 広島は土壇場で追いついた勢いで第2戦から3連勝。一気に王手を懸けた。

 しかし、第5戦で西武が延長12回、2―1でサヨナラ勝ちして流れが変わった。1死二塁。代わったばかりの津田から右翼席へ劇的な一打を放ったのは10回から登板していた23歳の左腕、工藤公康だった。

 円熟の技と技で幕を開けたシリーズはガラリと様相が変わる。主役はベテランから若手へ。高卒1年目で4番に座る19歳の清原和博、逆王手を懸けた第8戦の6回、同点2ランを放ってバック宙で生還した24歳の秋山幸二…。西武が若い力で3連敗4連勝の離れ業をやってのけた。

 山本浩二は最後まで4番に座ったが、40歳になった25日の第6戦から3試合で1安打に終わった。このシリーズを最後にバットを置くことが決まっていた。

 表彰式終了後のグラウンド。ミスター赤ヘル惜別の胴上げが行われた。その輪の中に一人だけ西武のユニホーム、東尾の姿があった。=敬称略=(特別編集委員)

 ◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年、岡山市生まれ。野球記者歴37年。1980年代は主に巨人と西武を担当した。

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