豊川・モイセエフ 新基準バット1号!92年春のゴジラ弾ほうふつ 高校通算16本目

[ 2024年3月20日 06:00 ]

第96回選抜高校野球大会第2日第1試合   豊川4-11阿南光 ( 2024年3月19日    甲子園 )

<豊川・阿南光>8回1死一塁、豊川・モイセエフは右越えに2点本塁打を放ち人差し指を突き上げる(撮影・後藤 大輝)
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 新基準の低反発金属バットが聖地にキーンと高い音を奏でると、打球はあっという間に右翼ポール際に消えていた。豊川のモイセエフ・ニキータが衝撃の本塁打を放った。

 「前の3打席捉えられなかったので後ろにつなぐ意識でした。追い込まれていたし全部の球に対応しようと」

 1―5で迎えた8回1死一塁。3球目の浮いたフォークを仕留めた。「打った瞬間はあんまり覚えていないんです」と結果に驚き、ベース一周後は興奮気味にナインとハイタッチを重ねた。新基準バットは「芯で捉えれば飛ぶ。でもちょっと詰まると外野の頭も越えない」。第3打席の右飛を解析し、弾丸ライナーで結果を出した。

 ラッキーゾーンが撤去された92年春、松井秀喜(星稜)が宮古(岩手)との1回戦で放ったアーチと重なるような、歴史的な大会1号。高校通算では16本目となった。今秋ドラフト候補の強打者だが、実は1年時は0本。長谷川裕記監督はモイセエフの入学時を「プロ野球選手になりたいと言っていましたけど、細くてなれるわけがないだろうというレベル」と回想する。「単打をいくら打ってもプロには行けない。本塁打を打てる体にならないと」と諭したのが転機となった。

 モイセエフは食事量を増やし、その上で筋肉をつけた。入学時は体重66キロだったが「ベンチプレスで127キロを超す重さを胸付きで上げる」体は82キロに成長。遠くへ飛ばす体ができたことでプロの注目も集まってきた。

 9回2死満塁、空振り三振で終わった春。「いつも以上にプレッシャーがかかることで硬さが出た」。この反省を糧にし、夏の舞台に帰ってくる。 (千田 篤史)

 【モイセエフ・アラカルト】
 ☆生まれ&サイズ&投打 2006年(平18)11月29日生まれ、愛知県刈谷市出身の17歳。1メートル80、82キロ。左投げ左打ち。

 ☆球歴 小1時に阿東パワーズで野球を始め、小4から東海ボーイズ小学部、中学では愛知衣浦リトルシニアに所属。豊川では1年春から背番号13でベンチ入りし、1年秋から背番号8。

 ☆二刀流!? 3月の練習試合で投手として登板し、打者1人を抑えた。長谷川監督は「投手がいなくなったら、登板もあるかもしれないですよ」とニヤリ。展開次第で二刀流起用もあったかも。

 ☆優しい兄 4人兄弟の次男。三男のアルチョーム君は「ニキータは優しい。いつもかくれんぼをしてくれます。野球も教えてくれるけど、何を教えてくれたかな?忘れました(笑い)」。

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