ゴルフ界にまた悲報…青木功ら育てた林由郎氏死去

[ 2012年1月3日 06:00 ]

03年7月、JGTOゴルフトーナメント功労賞を贈られあいさつをする林由郎氏

 1949年日本プロ、50年日本オープンなどで優勝し戦後のゴルフ界の隆盛を築いた林由郎(はやし・よしろう)氏が2日午前8時20分、老衰のため茨城県内の施設で死去した。89歳。青木功、ジャンボ尾崎、福嶋晃子ら数多くのトッププロを育て指導者としても活躍した。12月28日に亡くなった杉原輝雄プロに続き、年明け早々ゴルフ界が悲しみに包まれた。

 林氏は6年ほど前から体調を崩し、茨城県内の施設で暮らしていた。親族以外との面会は避けていたが、「青木には会いたいな」と話していたという。12月中旬に廊下で転んで頭を打ってから元気がなくなり、この日朝、施設の担当者が部屋を訪れた際には既に息を引き取っていた。遺体は昼頃に千葉県我孫子市の自宅に運ばれ、午後から親交のあるプロが弔問に訪れた。

 我孫子市の農家に生まれ、10歳の時に実家近くの我孫子GCで日曜キャディーのアルバイトを始めて16歳でプロ転向。左脇にコインを挟んで打つ独特の練習方法で技術を磨き、1メートル60、58キロの小柄な体ながら、48年関東プロ、49年日本プロなどで優勝。故中村寅吉氏らと戦後のゴルフ界復興を担った。56年のカナダカップでは4位に入り国際舞台でも実績を残した。

 また、我孫子GCでは「練習場では意識して曲がる球を打て」と独自の理論で青木や鷹巣南雄、海老原清治らを育て我孫子一門を確立させた。さらに千葉・習志野CCに移ってからは、プロ野球から転身したばかりのジャンボを預かり「野球界を見返してやれ」としったしながら大成させた。バンカーショットの名手としても知られ、福嶋も小学4年の時から指導。門下からは青木、ジャンボ、尾崎直道、飯合肇(日本ツアー)、海老原(欧州シニアツアー)、福嶋(日本女子ツアー)と6人もの賞金王、女王を輩出した。

 今月27日が90回目の誕生日だったため、孫のプロゴルファー・由寿(38)は「家族で90歳をお祝いしたかった。それが心残りです」と話していた。

 ◆林 由郎(はやし・よしろう)1922年(大11)1月27日、千葉県出身。小学校卒業後、我孫子GCキャディー、研修生を経て16歳でプロに。兵役後の48年に関東プロで初優勝。日本オープン2勝(50、54年)、日本プロ4勝(49、50、56、61年)、関東オープン2勝(55、60年)、関東プロ2勝(48、53年)と当時の4大大会全てに優勝。通算12勝。94年スポーツ功労者文部科学大臣顕彰。元日本プロゴルフ協会副会長。

 ▼青木功 プロゴルファーになるきっかけをつくってくれたのは林のオヤジだった。1勝した後に背中を押してくれたのも林さんだった。もしその後押しがなければ、永久シードが取れていたかは分からない。心より哀悼の意を表します。

 ▼松井功 17歳で入門し“一球一球目で覚えろ”という先生の教えを守って青木功さんと寝る間を惜しんで練習したことが私の大きな財産になっています。日本ゴルフ協会の会長としてゴルフ界に恩返しができたのも先生のおかげです。

 ▼尾崎 将司 習志野では「おやじさん」と呼ばれて慕われていた。小柄な体でコントロールを重視し、最初にフェードボールをものにした人だった。私もフェードをものにして、結果を出すことができた。杉原さんに続いて偉大な先輩が亡くなり寂しい限りです。ご冥福をお祈りします。

 ▼福嶋晃子 母に連れられて10歳の時に初めてお会いしてから28年、今のわたしがいるのも先生のおかげです。今でも先生の明るい笑顔が思い出されます。本当にありがとうございました。

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