「横浜銀蝿」リーダー嵐ヨシユキさん死去 67歳肺炎 人工透析受け車椅子 4月にライブも先月入院

[ 2022年7月12日 05:00 ]

肺炎で亡くなった横浜銀蠅の嵐ヨシユキさん
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 ロックバンド「横浜銀蝿」のリーダーでドラムスの嵐ヨシユキ(らん・よしゆき、本名田宮淑行=たみや・よしゆき)さんが4日午前10時46分、肺炎のため神奈川県内の病院で死去した。67歳。神奈川県出身。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。後日、お別れの会を開くか、新型コロナの感染状況を踏まえ検討していく。

 嵐さんは2004年に脳梗塞を患い、小脳の半分を摘出して以降も活動を続けてきた。今年4月17日に横浜市内で行った横浜銀蝿でのライブが最後に。人工透析を受け、車椅子で生活していた本調子でない中、ファンに元気な姿を見せていた。先月、体調不良で入院し、1カ月弱ほどで息を引き取った。

 横浜銀蝿は80年にデビュー。ライダー革ジャン、ドカン(ズボン)、サングラスといった姿で、当時の若者のツッパリ文化に乗り、嵐さんが作詞作曲した「ツッパリHigh School Rock’n Roll (登校編)」(81年)で一気にブレーク。83年に解散するも、98年に嵐さんと実弟でボーカルの翔(64)ら3人で再結成した。

 翔は「兄貴、早すぎるよ。まだまだ一緒にステージでロックンロールしたかった」と落胆。一方で「約束通り生涯現役、貫いたね。ゆっくり休んでください」と悼んだ。

 ◇嵐 ヨシユキ(らん・よしゆき、本名田宮淑行=たみや・よしゆき)1955年(昭30)4月15日生まれ、神奈川県出身。79年に横浜銀蝿を結成。ドラムスのほか、タミヤヨシユキ名義で楽曲制作も担当。キャンディーズの伊藤蘭のファンだったため、同じ読みの「嵐」を名乗った。01年の参院選に自由連合公認で立候補も落選。俳優としても活動した。

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