阪神ドラ4前川 幼少期から活発だった少年 兄が誘われたチームに先に入団 すぐに白球のとりこになった

[ 2021年12月6日 05:30 ]

阪神新人連載「猛虎新時代の鼓動」4位・前川(上)

小学2年時、ソフトボール大会に出場した前川(家族提供)
Photo By 提供写真

 阪神がドラフト会議で指名した計8選手(育成ドラフト含む)のプロ入りまでの道のりをたどり、素顔に迫る連載「猛虎新時代の鼓動」は、6日から2回にわたり4位指名された前川右京外野手(18=智弁学園)を紹介する。活発だった幼少期。白球との意外な形での出合いとは…。

 2694グラムでこの世に生を受けた前川家の次男は、右京と名付けられた。古風で響きが良かったことと、画数が決め手だった。

 成長のスピードは速かった。初めて歩いたとき、いきなり最初から何歩も遠くへ行った。キャッチボールでもフォームを教えると、最初からすいすい。当時から運動神経は抜群だった。

 ザリガニやメダカ、セミなど、生き物をつかまえることが大好き。雨の日でも傘をさしてカタツムリを探しに行くなど活発そのものだった。初めての七五三の前には、遊んでいる時に椅子から落ちて腕を骨折。幼稚園の頃には2歳上の兄・夏輝さんが乗る補助輪なしの自転車を、補助輪ありの自転車を駆り猛スピードで追いかけた。父・栄二さんと母・敦子さんはケガの危険と隣り合わせの様子をヒヤヒヤしながらも、温かく見守っていたという。

 サッカーや水泳にチャレンジしながら長続きしなかった右京に転機が訪れたのは、小学校1年の時だった。夏輝さんが地元・津市のソフトボールチーム「白塚バッファローズ」から誘われた。一緒に見学に行ったところ、兄ではなく右京が入団することに。すぐに白球のとりこになり、のめり込んだ。

 初めて守ったのは一塁だった。右京から「バッティングセンターに連れて行って」とねだられても、栄二さんは「頑張るなら、練習で頑張りなさい」と自主性を育むことに注力したという。そんな父が唯一、教え込んだのが逆シングルでの捕球。「チームに迷惑だけはかけてはいけない」という考えから、球を後逸しないようにするために鍛え上げた。

 3年になると、5年の夏輝さんが後を追うようにチームへ加入。身についた自主性とフォア・ザ・チームの精神、そして最大の理解者にしてライバルとなった兄の存在が、後の野球人生で大きな意味を持つことになる。

 中学では兄のいる硬式野球チーム「津ボーイズ」に入団。3年時には投打ともに中心選手として活躍したが、ずばぬけた力があったわけではなかった。智弁学園へ入学が決まったのも、左腕投手としての期待を込めてのもの。だが同校の小坂将商監督へも「野手一本で」と覚悟を伝えた15歳は、秋のボーイズ引退から翌春の高校入学までに、驚くべき変身を遂げた。(北野 将市)

 ◇前川 右京(まえがわ・うきょう)2003年(平15)5月18日生まれ、三重県津市出身の18歳。白塚小1年から白塚バッファローズでソフトボールを始め、投手で6年時に全国大会出場。一身田中では津ボーイズに在籍し、投手と外野手で3年時に全国大会出場。智弁学園では1年春から主力で、甲子園は同夏、2年の交流試合、3年春夏と計4度出場。50メートル走6秒3、遠投100メートル。1メートル76、88キロ。左投げ左打ち。

続きを表示

この記事のフォト

「始球式」特集記事

「水島新司」特集記事

2021年12月6日のニュース