松坂「投げることが怖くなった」1球 4月末「なんの前触れもなく右打者の頭の方にボールが抜けた」

[ 2021年10月20日 05:30 ]

【西武・松坂大輔投手引退試合】パ・リーグ   西武2-6日本ハム ( 2021年10月19日    メットライフD )

引退会見で涙ぐむ松坂
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 西武の松坂大輔投手(41)が19日、引退試合となった日本ハム戦の登板前の会見では家族への感謝を語る際に涙を流した。

 【引退会見 松坂に聞く(1)】

 ――引退会見。率直な気持ちは?
 「今日という日が来てほしかったような、ほしくなかったような…。引退発表後にすぐ会見をする予定だったけど、僕自身がなかなか受け入れられなかった。できるだけ早く終わらせられたらいい、と思いながら過ごしていた」

 ――引退を決断した一番の要因は?
 「昨年の春先に右手のしびれが強く出るようになった。コロナ下で緊急事態宣言になり、トレーニングも治療もままならない中で悪化した。毎日のように首の痛みや右手のしびれで寝られないことが続いて、精神的に参ってしまった。それで手術を決断した」

 ――そこから復帰を目指した。
 「2軍の試合に投げられそうという矢先の4月の終わり頃、ブルペンの投球練習でなんの前触れもなく右打者の頭の方にボールが抜けた。とんでもない抜け方。そのたった1球で投げることが怖くなった。ショックが凄く大きくて、もう投げるのは無理だなと。やめなきゃいけないと自分に言い聞かせた」

 ――引退発表は7月7日。決意したのは?
 「球団に報告する1週間前とかだったと思う。お願いして休ませてもらったのが5月の頭。2カ月ずっと考えて、悩んで」

 ――家族の反応は?
 「(涙をこらえて)やめると決断した時に妻に電話をした。ちょうど息子がいて…。長い間お疲れさまでしたと言ってもらった。僕の方からもたくさん迷惑を掛けたけど、長い間サポートしてくれてありがとうという言葉を伝えた。これまで野球人生活に関わっていただいた、アンチのファンも含めて感謝しています」

 ――今後は?
 「家族と過ごす時間を増やしながら、違う角度で野球を見ていきたい。野球以外にも興味のあることはたくさんある。そういうチャレンジをしていきたいし野球界、スポーツ界に恩返しできる形をつくっていけたら」

 ――18歳でプロ入り。メジャーで世界一になり、WBCでは2度優勝。この23年間は?
 「半分以上は故障との闘い。僕みたいな選手はなかなかいないかもしれない。一番いい思いと、どん底も同じくらい経験した」

 ――自身での松坂大輔の評価は?
 「長くやった割には思ったほど成績を残せなかった。通算勝利数も170個積み重ねたが、ほぼ最初の10年で重ねた数字」

 ――褒めるなら?
 「選手生活の後半は叩かれることの方が多かった。それでも諦めずに…。諦めの悪さを褒めてやりたい。これまでは叩かれても、それを力に変えてはね返してやろうとやっていた。最後はそれに耐えられなかった。もう、心が折れたというか…。エネルギーに変えられたものが、受け止めてはね返す力がなかった」

 ――背番号18への思いは?
 「小さい頃にプロ野球を見始めて、(巨人の)桑田さんの背番号18が物凄く格好良く見えた。最初に受けた衝撃がそのまま残っていた」

 ――ファンにはどんな姿を。
 「本当は投げたくなかった。今の体の状態でどこまで投げられるのか。これ以上ダメな姿を見せたくないと…。それでも最後、ユニホーム姿でマウンドに立つ松坂大輔を見たいと言ってくれる方々がいた。どうしようもない姿かもしれないけど最後の最後、全部さらけ出して見てもらおうと思った」

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