松坂大輔 涙でマウンドにありがとう「全部さらけ出して見てもらおう」痛みこらえ5球、怪物伝説完結

[ 2021年10月20日 05:30 ]

【西武・松坂大輔投手引退試合】パ・リーグ   西武2-6日本ハム ( 2021年10月19日    メットライフD )

<西・日>引退試合を終え、マウンドに手を置く松坂(撮影・尾崎 有希)
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 西武の松坂大輔投手(41)が19日、引退試合となった日本ハム戦で16から変更した背番号18のユニホームに袖を通して先発。近藤健介外野手(28)に5球を投じて四球を与え、日米通算170勝の現役生活に別れを告げた。登板前の会見では家族への感謝を語る際に涙を流し、試合後もマウンドに別れを告げて涙。最後はナインの手で胴上げもされた。横浜高のエースで出場した甲子園、西武、メジャーでも活躍した「平成の怪物」の伝説が、ここに完結した。

 試合後、場内を一周した松坂が誰もいないマウンドに歩を進めた。片膝をつき、右手でプレートに触れる。涙があふれた。両軍ナイン、ファンも静かに「儀式」を見守る。平成の怪物が太くて長い現役生活に別れを告げた。

 「これまで投げてきたマウンドに対して“ありがとうございました”という思いを伝えさせてもらいました」

 引退試合。大きな拍手に送られ先発マウンドに立った。「格好良いと思って続けてきた」という代名詞のワインドアップから近藤に投じた初球は、この日最速の118キロ直球。高めに浮きボールとなったが2球目は外角低めでストライクを取った。そこから3球連続ボールで四球。22年前、同じ日本ハム相手のプロデビュー戦で155キロを投じた男は「最後に“だからやめるんだよな”とスッキリできた」と晴れやかな表情で語り「1球のストライクは最後の最後で野球の神様が取らせてくれた」と感謝した。

 右手中指の感覚がなく「投げるのが怖くなった」と引退を決断。首痛、右手のしびれと闘いながら最後の登板を目指し、前日は右肘に痛み止めの注射も打った。試合前は遠投、ブルペン投球も実施。直前の投球練習では右足で華麗にプレートの土を払った。同世代の選手、全国の野球少年がまねた所作。松坂は最後まで松坂だった。

 会見では「本当は投げたくなかった。これ以上ダメな姿を見せたくない」と思い悩んだことを明かした。考えが変わったのは「最後にマウンドに立つ松坂大輔を見たい」という周囲の言葉。「全部さらけ出し見てもらおう」と心境が変化した。痛みをこらえ、ぎごちないフォームから5球を投じ「まだ投げてほしい、と言ってくれる方もいたけど、もうその声には応えられない、というのを報告できたと思う」と語った。

 栄光と挫折を味わった23年間のプロ生活。07年にレッドソックスで世界一に輝くなど08年までの10年間で日米通算170勝の大半の141勝を挙げた。暗転は08年のシーズン中。足を滑らせ、とっさにポールをつかんだ際に右肩を負傷した。以降は肩をかばい「自分が追い求めるボールは投げられていなかった」と明かす。現役後半の13年で29勝。支えてくれた家族に話が及ぶと「家族なりに我慢もストレスもあったと思う」と涙を浮かべた。

 変わったもの、変わらないもの。2つの生きざまを示した松坂は「野球を好きなまま終われてよかった」と言った。5歳で白球を追う楽しさに魅了された。高校時代は全球児の目標となり、プロで栄光もつかんだ。そんな男が必死にもがき、腕を振って取った最後のストライク。それもまた、伝説の一ページだ。(花里 雄太)

 ◇松坂 大輔(まつざか・だいすけ)1980年(昭55)9月13日生まれ、東京都出身の41歳。横浜高では3年時に春夏連続甲子園出場。夏の甲子園決勝では59年ぶり2人目のノーヒットノーランを達成し、史上5校目の春夏連覇を達成。98年ドラフト1位で西武入団。1年目の99年に16勝で新人王を獲得し、01年まで3年連続最多勝。06年オフにポスティングシステムでレッドソックスに移籍し、08年に日本人投手最多の18勝。インディアンス、メッツを経て、15年にソフトバンクで日本球界復帰。18~19年に中日、20年から西武に復帰した。00年シドニー、04年アテネ五輪、06、09年WBC日本代表。1メートル82、92キロ。右投げ右打ち。

 《12月4日に引退セレモニー》この日は試合後に引退セレモニーは行われず、松坂は場内を一周してファンに別れを告げた。12月4日のファン感謝イベント「LIONS THANKS FESTA 2021」で引退セレモニーが行われることが発表され「そこで改めてファンの方々には何か伝えられたらいいなと思っています」とコメント。同イベントはコロナ下でもあり、一部オンラインを除き来場人数に上限を設け実施される予定だ。

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