“甲子園一家”三男 黒川怜遠が星稜救った!5回決勝打 目標は楽天の次兄・史陽「追いついて追い越す」

[ 2021年7月13日 05:30 ]

全国高校野球選手権石川大会2回戦   星稜1ー0鶴来 ( 2021年7月12日    石川県立 )

<星稜・鶴来>5回、適時二塁打を放ち笑顔の星稜・黒川怜遠(右)
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 第103回全国高校野球選手権の石川大会では、19年夏の甲子園で準優勝した星稜が初戦の2回戦に登場。“甲子園一家”として知られる黒川怜遠内野手(3年)が決勝点を挙げ、1―0の接戦を制した。

 前回大会の甲子園準V校・星稜が、虎の子の1点を守り抜いた。5回1死三塁。「3番一塁」の黒川が、待望の先制点を叩き出した。外角球をとらえると、左翼線への適時二塁打。塁上で安どの笑みを浮かべた。

 「練習から振れている気がしていました。コースに逆らわず、絶対かえすという気持ちで打てたのが良かったです」

 2歳上の次兄・史陽(現楽天)は智弁和歌山で5季連続聖地の土を踏んだ。主将として臨んだ19年夏の甲子園3回戦では、星稜とタイブレーク延長14回の死闘を演じサヨナラ負け。悲願の全国制覇はならずアルプス席で観戦していた自分が思いを受け継いだ。

 選手権大会が中止となった昨夏、史陽がプロ入り後に使用した長さ86センチの木製バットを1本、譲り受けた。普段用いる金属バットは83センチ。「遠心力を使わないと振れないんです」。素振りでは必ず、木製バットを使う。最低500スイングが日課。「兄であり、目標の選手。いつかは追いついて、追い越したい存在」と断言する。

 前夜、家族のグループLINEで「頑張れ」と激励された。有名な甲子園一家。父・洋行さん(45)は上宮で93年選抜優勝。5歳上の長兄・大雅(現ミキハウス)も、日南学園で16年春夏に出場している。怜遠は昨春選抜で背番号「15」を手にしたものの大会が中止となり、ここまでただ一人、甲子園の土を踏めずにいる。

 「自分も父を甲子園に連れて行きたい」。史陽の思いも胸に秘める2年ぶりの大会。さまざまな意味で「特別な夏」にする。(北野 将市)

 ◇黒川 怜遠(くろかわ・れおん)2004年(平16)1月19日生まれ、奈良県北葛城郡出身の17歳。河合第一小1年から河合フレンズで野球を始め、河合第一中では泉州阪堺ボーイズに所属。星稜では1年秋から背番号17でベンチ入りし、2年秋からレギュラー。1メートル70、72キロ。左投げ左打ち。

 ▼黒川洋行さん 小さい頃は単身赴任だったこともあり、学校から帰ると兄弟3人で練習していました。僕がいたらガミガミ言っていたと思うので、かえって良かったのかもしれません。(3人とも別々の進路だったのは)それぞれ負けたくない思いが強く、自分は自分の道を行くというのがありました。怜遠には星稜のノビノビできる雰囲気があっている。甲子園でプレーして、黒川家のラストを飾ってほしいと思います。

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2021年7月13日のニュース