【内田雅也の追球】「最後の打者」で見えた「神様」 阪神「真髄」の引き分け

[ 2020年7月23日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神3-3広島 ( 2020年7月22日    甲子園 )

<神・広>延長10回2死、大山は左前打を放つ(撮影・大森 寛明)
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 「最後の打者」となるかもしれない打席で安打した近本光司と大山悠輔に、野球の醍醐味(だいごみ)を見た気がした。

 阪神としては9回1死「あと2人」までリードしていた勝利を逃したのだが、この引き分けには勝利以上の価値があったのではないか。

 野球の真髄(しんずい)を知ったからである。真髄とは何か。野球を愛する作家、伊集院静が『逆風に立つ』(角川書店)で書いている。

 <どんなに素晴らしい個人の記録よりも、ため息をこぼしたくなる華麗なプレーよりも、野球の真髄は、勝利のためにチーム全員がベストをつくすことなのだ>。

 阪神はこの夜、ベンチ入りの野手全員が出て、勝利に向かった。結果は引き分けだが、真髄を知ったのではないか。

 <そして一人のプレーヤーの力だけでは野球は勝つことができない。これが個人のスポーツとチームのスポーツの違いである。(中略)少年の時から野球をはじめて、やがて野球は自分だけのためにするスポーツではないとわかった時、野球の真の素晴らしさがわかるのだ。勝つ時もあれば、敗れる時もある。それが人生に似ている>。

 2―1の9回表1死二塁。大山は三ゴロを一塁へ高投(悪送球)。送球はカメラマン席に入り、二塁走者が生還して同点となった。その後、勝ち越された。

 敗戦へのエラーだと思われた。ところが、ここからの阪神は全員で大山を救ったのである。

 9回裏は先頭・梅野隆太郎が遊撃左のゴロに力走し、一塁へ頭から突っ込み内野安打とした。バントで送り、2死となって打席に近本が立った。

 打撃不振で試合前まで打率1割8分2厘、セ・リーグ規定打席到達者で最下位の32位。この日もスタメンから外れ、9回表の守備からの出場だった。苦悩は想像がつく。

 だから、ライナーが右翼線に飛んだ時は多くのファンの涙をも誘ったことだろう。よくぞ思い切りよく振り抜いた。起死回生の同点打だった。

 先の伊集院は<野球の神様がいる>と『許す力 大人の流儀4』(講談社)で書いている。<その仕組み、ルールの奥が深く、そして実際のゲームでは奇跡と呼ばれるプレーが生まれる>。

 不振にもくじけず、努力し、前向きに過ごしてきた近本に、神様は奇跡を起こしてくれたのだ。

 「許す」とは味方のエラーを許すことも含まれるだろう。失敗の多いスポーツの野球である。誰かのミスを誰かがカバーして成り立っている。

 そして、延長に入って10回裏、2死無走者で大山に回ったのも神様の差配だろうか。果たして、大山は打った。初球カーブをライナーで左前打。近本同様「最後の打者」を拒む気概が見えた。同様に細工などせず、思い切り引っ張ったライナーにその気概が映る。

 この後、代走の熊谷敬宥が二盗を決め「最後の野手」だった代打・原口文仁は粘って申告敬遠を得た。植田海の今季初打席も3球振っての三振で試合は終わった。まさに全員で引き分けたのだ。

 『許す力』には続けてこうある。<その魅力を一度知った人は離れられなくなり、己の人生とともにベースボールゲームを見つめる>。

 スタンドの観衆は制限いっぱいの5千人足らず。だが、テレビの前では多くの人びとが、人生を重ね合わせて見ていたはずである。山あり谷ありの人生を映し出した試合だった。それは失敗した者たちの再生の物語のようでもあった。=敬称略=(編集委員)

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2020年7月23日のニュース