【イチロー年表】色あせない背番号51の記憶 球宴で救援登板、WBC決勝韓国戦、不滅4257安打…

[ 2019年3月22日 11:30 ]

イチロー引退

94年4月、登録名を鈴木一朗からイチローへ。佐藤和弘からパンチと命名したオリックス・ブルーウェーブの仰木彬監督とともに
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 21日のアスレチックスとの開幕第2戦終了後に現役引退を発表したマリナーズのイチロー外野手(45)。日米通算4367安打。日本人野手で初めてメジャーの扉を開き、数々の記録と記憶を残してきた。「時代」を駆け抜け、平成の終わりとともにユニホームにも別れを告げた不世出の大選手の、その足跡と偉業――。

 ☆73年 10月22日、愛知県で誕生。2人兄弟の次男だったが、「一朗」と命名された。

 ☆82年 小学3年から豊山町スポーツ少年団に入団。

 ☆88年 豊山中3年ではエース兼3番として全日本少年軟式野球大会で3位に輝く。

 ☆89年 愛工大名電に入学。2年夏は左翼手として甲子園に出場。3年春はエースとして甲子園に出場したが、いずれも初戦敗退。高校通算536打数269安打、打率・501、19本塁打をマークし、ドラフト4位でオリックス入団。

 ☆92年 7月11日に左翼手の守備固めで1軍初出場。翌12日のダイエー戦で木村から右前へプロ初安打を放つ。

 ☆93年 「9番・中堅」で開幕スタメンを果たすが、7月に2軍落ち。

 ☆94年 登録名をイチローに変更。4月末から1番に定着し、9月20日のロッテ戦では園川から右越え二塁打を放ち、プロ野球史上初となる200安打を達成。安打数は210安打まで伸びた。

 ☆95年 1月17日に阪神大震災が発生。「がんばろうKOBE」を合言葉に首位打者、打点王の活躍で、リーグ優勝に貢献。

 ☆96年 球宴では投手として登板。代打・高津を遊ゴロに打ち取る。巨人との日本シリーズでは初戦に決勝アーチを放つなど、チームを19年ぶりの日本一に導く。3年連続MVP。

 ☆97年 216打席連続無三振のプロ野球記録を樹立。

 ☆98年 プロ野球史上初となる5年連続首位打者に輝く。

 ☆99年 マリナーズの春季キャンプ招待参加。4月20日の日本ハム戦で右中間へアーチを放ち、史上最速となる通算1000安打をマーク。

 ☆00年 オリックスで7年連続首位打者に輝く。オフにマリナーズと3年総額1400万ドルで契約。

 ☆01年 4月2日のアスレチックス戦に「1番・右翼」で出場。メジャー初となる中前打など2安打をマークした。メジャー新人最多安打となるシーズン242安打で新人王、首位打者、MVPなどを受賞。

 ☆02年 リーグ4位の打率・321を残し、11月の日米野球にも参加。

 ☆03年 5月にメジャー通算500安打を達成し、球宴ファン投票で3年連続両リーグトップに。

 ☆04年 5月21日のタイガース戦で5回に中前打を放ち、日米通算2000安打。10月1日のレンジャーズ戦の第2打席で中前打をマークし、シスラーのメジャー歴代シーズン最多記録の257安打を更新。2度目の首位打者に輝き、最終的には262安打まで記録を伸ばした。

 ☆05年 6月14日にメジャー通算1000安打を達成。

 ☆06年 WBCに出場し、米国戦で先頭打者アーチを放つなど、日本の世界一に貢献。

 ☆07年 球宴史上初となるランニング本塁打を放ち、MVPを獲得。リーグ2位の打率・351と同1位の238安打を記録。

 ☆08年 6月に日米通算500盗塁を達成。

 ☆09年 WBCで日本を2大会連続世界一に導く。決勝の韓国戦では延長10回に決勝中前打。メジャー開幕直後に胃潰瘍発覚。4月16日のエンゼルス戦で、張本勲の日本最多記録3085安打を日米通算で抜く。9月にはメジャー通算2000安打も達成。メジャー移籍後、自己最高の打率・352を残す。

 ☆10年 史上1位のピート・ローズに並ぶ10年連続シーズン200安打を達成。

 ☆11年 打率・272、184安打でシーズンを終了。年間200安打の記録もストップ。

 ☆12年 日本での開幕戦で4安打の活躍も、7月にヤンキースへ電撃トレード。地区優勝に貢献する。

 ☆13年 8月21日のブルージェイズ戦で日米通算4000安打を達成。

 ☆14年 143試合の出場で打率・284。オフにFAとなる。

 ☆15年 マーリンズと1年200万ドルで契約。10月4日、シーズン最終戦のフィリーズ戦で8回に投手として初登板。

 ☆16年 メジャー記録を日米通算で抜く4257安打。

 ☆17年 オフにFAとなる。

 ☆18年 マリナーズと契約。

 ☆19年 日本開幕戦でスタメン出場、2戦目終了後に引退を表明。

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