【イチロー 記憶に残る名言集(2)】06年WBC優勝「僕の野球人生で最も大きな日になった」

[ 2019年3月22日 10:01 ]

イチロー引退

06年WBC決勝<キューバ・日本>世界一に輝き、トロフィーを前に笑顔を見せる王貞治監督(左)とイチロー外野手
Photo By スポニチ

 イチローはプレーだけでなく、コメント力も偉大だった。老若男女を虜(とりこ)としてきたイチ語録。節目ごとに残してきた数々の名言を振り返る。

「期待していないということはなかったですけど、そのメンバーに名前が入っていること自体が素晴らしいことだと思ったので、獲れるとは思ってはいませんでした。僕は細いし、小さいし、パワーもない。子供たちが自分にもできるぞとメジャーを目指してくれるとうれしい」(01年11月20日、新人王に続きア・リーグ最優秀選手賞(MVP)を受賞し)

「簡単ではないと思われていたけど、ここに破った人がいるわけですからねえ。10年間はやめてというのはある。願わくば自分が破りたい」(04年10月1日、ジョージ・シスラーのシーズン257安打の大リーグ記録を、84年ぶりに破り)

「僕の野球人生で最も屈辱的な日ですね」(06年3月15日、WBC2次リーグで韓国に1―2で敗れ)

「僕の野球人生で最も大きな日になった。多くの人が日本から来てくれて力をもらいました。きょうはケガを恐れるとか関係なかった。何があってもやってやるという気持ちだった。みんなで喜べることなんて遠ざかっていたので、思い出させてくれた。次回?声が掛かるようにしていかないと」(06年3月20日、キューバを下しWBC優勝に)

「出た、じゃない。出しました、です。楽しかった。これは楽しかった。もちろん試合に出ることも(意味が)あるけど、やはり選手は結果を出さないと駄目だな、と。レストランを予約していて、帰ろうと思ったら残れ、と言われまして。不思議なもので、最後まで残っているとだんだん(MVPが)欲しくなる。結果的にいただけて、生涯忘れないでしょう」(07年7月10日、オールスター戦史上初のランニング本塁打含む3安打で日本人初のMVPに輝き)

「1人の選手に対してこれだけの評価を与えてくれることってそれを示していると思う。この評価って平均年俸が500万円だとしたら、弥生時代からプレーしないと達成できない数字なのでその評価って凄いと思う。1000万円でも多分平安時代ぐらいからですから。このこと(契約)はその気持ちを表してくれているんだと個人的には思います」(07年7月13日、5年総額9000万ドル(当時約110億円)で契約延長し)

「今年中に日本選手が立ったことのない場所にいきたいと思っている」(08年1月、残り215本に迫っていた張本勲の通算3085安打へ向けて)

「あざ~っす。僕は持ってますね、やっぱり。いやぁ神が降りてきましたねえ。球場を1周した気持ち?気持ちよかった!ほぼイキかけました」(09年3月23日、WBC決勝・韓国戦で勝ち越しの決勝打を放ち2連覇し)

「まあ8試合ミス(欠場)するだけなんで。ただWBCの時から思っているんだけど(お見舞いの)メールの数が少ない。もうちょっと心配してくれよ」(09年4月、胃潰瘍で開幕故障者リスト入りが決まり)

「頂に登った時の景色を感じてみたかった。凄く晴れやかな、いい景色でしたね。今後も数字?そりゃそうでしょう。(でなければ)つまんないでしょ」(09年日本人新記録となる3086安打を放ち)

「本当にイチローVS松井ってなるように、ちゃんとブルペンで仕上げていきたいと思います」(10年1月7日、同じア・リーグ西地区のエンゼルスに松井秀喜の移籍が決まり)

「対ピッチャーとして見てみたいということ?それはありますよ。夢に出てきたことがありますし。対戦したの、対戦したんですよ!勝敗は難しいですけど、真っ二つになったバットで僕は打たなきゃいけなかった。凄く不思議なんだけど、(斎藤は)160キロぐらい投げていた」

「人間として興味がある。僕が何を言っても嫌みに聞こえるけど、(斎藤は)そう聞こえない。(自分と)真逆、対極のイメージ。でも、一番対極にある関係とはどこかで通じるものがある」(11年1月5日、日本ハムの新人・斎藤佑樹について聞かれ)

「どんなオファーを提示したかということより、このオファーを受けたことへの覚悟と自信に敬意が払われるべき」(13年1月23日、田中の7年総額1億5500万ドルでのヤンキースとの契約合意に)

続きを表示

この記事のフォト

「第91回(2019年)選抜高等学校野球大会」特集記事

「稲村亜美」特集記事

2019年3月22日のニュース