56校それぞれの甲子園の詩を…球児たちを愛した阿久悠さんの命日に思う

[ 2018年8月1日 14:20 ]

1989年、第71回全国高校野球選手権大会を取材する阿久悠さん
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 第100回夏の高校野球選手権大会は2日抽選、5日に開幕を迎える。今年は記念大会ということで初めて福岡が2校となり56校の代表が勢揃いする。

 8月=甲子園という取材記者の頭にインプットされた思いとは別に、1日は夏の甲子園、球児を愛した阿久悠さんの命日でもある。1979年からスポニチ紙面に「甲子園の詩」を20年以上にわたって連載していただいた。昭和の怪物ともいえる偉大な作詞家を大会期間中缶詰にして1日4試合をテレビ観戦。乱暴な企画だったが、OKが出て連載は始まった。阿久さんはノートにその日の天候、ラインアップ、スコアを事細かに書き込み、食事も時間がかかると丼物が多かったという。

 1回目はPL学園の主将が1人で優勝旗を返還するシーンから始まっている。数々の名勝負、初出場の公立校の健闘に喜び、浪商(現大体大浪商)のドカベンこと香川伸行捕手には「太陽を食った少年」と書いた。横浜の優勝投手・愛甲猛には「その名は愛(いと)しの甲子園」とも記した。

 富山・新湊のミラクル進撃を書いた後年、仕事で新湊を訪れた際、市民から「阿久先生が来てるぞ」と大騒ぎとなり、酒盛りになったと楽しそうに話していたのも思い出す。

 岩手の高田が雨の甲子園で8回コールドの敗戦となった試合では「君たちには甲子園に1イニングの貸しがある」と書いた。その石碑は東日本大震災で校舎が津波で壊滅的になったときでもビクともせず立っていた。今でもその詩を読むと涙腺が緩む。

 彗星にように現われた早実の1年生・荒木大輔投手。それから18年後、同じ大輔で春夏連覇を達成した横浜の松坂大輔投手と阿久さんはヒーローも愛した。延長戦でサヨナラボークをして敗れた宇部商の2年生左腕・藤田修平投手には「敗戦投手への手紙」として、エールを送った。

 07年に亡くなった阿久さん。甲子園を取材していると、感動的な試合に何度も立ち会う。そんなとき「阿久さんが生きていたらどんな詩にしてくれるだろう」といつも思う。今年は100回記念大会。阿久さんはきっと天国から観戦しているのだろう。56校、1008人の球児たち。それぞれが自分だけの「甲子園の詩」を書いてくれることを願う。 (落合 紳哉)

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