【大分】9回つかまった2年生エース 人生の機微を教えてくれたダイショー

[ 2018年8月1日 08:00 ]

第61回大会   大分商3―6横浜商 ( 1979年8月19日    甲子園 )

79年、大分商の2年生エース・松本
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 幼い頃、大分県の大人はアマ野球に特別な思いを抱いていると感じていた。口から飛び出す、別府星野組の伝説。鉄腕・稲尾が別府湾で船を漕いだ話は何万回聞いたか。津久見の全国制覇は吉良のドロップ…。その大分にあって、大分商=通称ダイショーは、祖父の母校ということもあってか、特別な存在だった。

 1979年の夏だった。のちに巨人入りする岡崎郁は背番号6。「1」は少し頼りなさげな2年生、松本健だ。初戦で弘前実に4―1、2回戦は佐賀商に6―3、3回戦は日大山形に3―2。ダイショーはこの夏、九州勢で唯一、ベスト8に進出した。秘めたライバル心を抱く九州人にとって「九州唯一」は大事なポイントだ。

 準々決勝の相手はジャンボ宮城こと宮城弘明擁する横浜商。薄いブルーのユニホームは、都会の匂いがした。完敗した記憶しか残っていないこの試合、実は常に先手を取っていたのはダイショーだった。2回に先制も3回に追いつかれ、5回に勝ち越すと6回に追いつかれ。9回、松本がつかまり4失点。反撃は1点だけだった。

 「松本くん、可哀想やったなあ」。翌日、クラスの女子が騒いでいた。頼りなさげに見えるやさ男は関心を呼ぶもの。小学6年生に人生の機微を教えてくれたのも、この夏のダイショーだ。

 ◆首藤 昌史(東京本社スポーツ部)87年、別府鶴見丘高卒。息子たちがプレーする姿を見るのが趣味。

 <大分データ>

夏の出場回数 70回(通算58勝68敗)

最高成績 優勝1回(津久見=1972年)

最多出場 大分商(15)

最多勝利 津久見(16)

出場経験 20校、うち未勝利8校

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