【佐賀】佐賀商・新谷 史上初の完全あと1人で…時間を巻き戻したかった痛恨死球

[ 2018年7月29日 08:00 ]

第64回大会1回戦   佐賀商7―0木造 ( 1982年8月8日    甲子園 )

<佐賀商・木造>新谷は9回2死から代打・世永に死球を与えて完全試合を逃すも、ノーヒットノーラン達成
Photo By スポニチ

 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!小学生時代の夏休みと言えばアニメ「ハクション大魔王」が真っ先に思い浮かぶ。

 宿題は配布後数日で自由研究などを除き完了し、あとは自堕落な約40日間。午前は地域の民放で夏になれば繰り返し放映されていたハクション大魔王、午後は学校のプール開放に通い詰め、その後は主にザリガニ釣り。これを判で押したように繰り返す。3歳上の兄は少年野球で真っ黒に。こちらはただ遊び回って真っ黒に。

 そんな野球オンチの小学4年生に「完全試合」と「ノーヒットノーラン」をインプットしてくれたのが佐賀商の新谷博だった。

 1回戦の木造戦。佐賀商が7―0とリードし、9回のマウンドに新谷が向かう。注目は大会史上初の完全試合なるか。興奮気味の実況に“何か凄いことが起こっているらしい”と野球オンチでも気づく。遊ゴロ、三振で2死。あと1人というところで代打の1年生・世永幸仁に死球を与えてしまう。テレビの前で「あ〜」とタメ息をついた。大魔王の呪文「アラビン、ドビン、ハゲチャビン」で時間を巻き戻せないかと思った。

 それでも新谷は続く1番・兼平利仁を二ゴロに仕留めてノーヒットノーラン達成。センバツ出場は数年に1回、九州でも劣勢だった当時の佐賀球界に「やればできる」という希望を植え付けたと信じている。この12年後の夏に佐賀商の後輩たちが県勢初の全国制覇を果たした。

 ◆原口 公博(西部総局編集部)1996年入社。91年佐賀西卒。佐賀高から分かれた西、北、東で母校は唯一甲子園出場なし。

 <佐賀データ>

夏の出場 59回(通算38勝57敗1分け)

最高成績 優勝2回(佐賀商=1994年、佐賀北=2007年)

最多出場 佐賀商(15)

最多勝利 佐賀商(13)

出場経験 20校、うち未勝利8校

続きを表示

この記事のフォト

2018年7月29日のニュース