ゆでたまご嶋田隆司氏、猪木イズム継承へ スタイル踏襲「火事場のクソ力」共通点見いだし…

[ 2022年10月4日 05:10 ]

1983年、アントニオ猪木さんと稽古した、ゆでたまごの嶋田隆司氏(右)と中井義則氏
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 人気プロレス漫画「キン肉マン」の作者ゆでたまごの嶋田隆司氏(61)が1日に死去した元プロレスラーで元参院議員のアントニオ猪木さんをしのんだ。本紙の取材に「猪木さんがいなかったらキン肉マンのファイトスタイルはなかったかもしれない」と語るほど影響を受けたヒーローだった。

 初対面は1983年夏。雑誌の取材で相棒の中井義則氏(61)と訪れた新日本プロレスの道場。鬼軍曹と呼ばれた山本小鉄さん指導の下、選手と同様のトレーニングをする企画には「もう地獄でした」と苦笑いだが、「猪木さんはストイックに練習されていた。キン肉マンのことも知っていて、物腰の柔らかい方でした」と懐かしんだ。

 嶋田氏自身はジャイアント馬場さんのファンで全日本プロレスびいきだが「キン肉マンの(超人たちの)戦いは新日寄り」と説明。猪木さんが確立した、格闘技色が強いストロングスタイルを踏襲したという。「猪木さん自身がアイデアマンで、常にアンテナを張られている。考え方が若く実行力が凄い」と尊敬の念を込めて語った。猪木さん本人も作中に何度か登場。87年、長州力らとの世代闘争5対5マッチで、リング上のロープを引っ張り合って対戦相手を決めたシーンを「超人タッグリーグ編」で採用するなど、常に刺激を受けリスペクトしてきた。

 猪木さんには、キン肉マンをタイガーマスクのように新日本で“デビュー”させる構想もあったという。アニメとプロレス中継の放送局が違うことから実現には至らなかったが「猪木さん自身が超人みたいなもの。お互いに受け身がうまく、やられてもやられても最後に大逆転する。火事場のクソ力など、通じるところがあるかもしれません」と共通点を見いだしている。「新日本、全日本に次ぐ第3のプロレス団体として(週刊少年)ジャンプ発売日の毎週月曜日に興行する気持ちでやってきました」と強調した嶋田氏。訃報を受けた際は「猪木さんは死なない感じがしていた。その人がいなくなってしまったというショックがありました」と、1日が誕生日という設定の人気キャラクター・ウォーズマンが涙を流している絵を投稿した。そして「これからも第3の団体として、まだまだ頑張って描いていきたい」と猪木イズムの継承を誓った。

 ◇ゆでたまご 原作の嶋田氏と作画の中井氏による漫画家ユニット。78年「キン肉マン」が赤塚賞で準入選し、同年12月「週刊少年ジャンプ」に掲載されデビュー。79年5月から同誌で連載がスタート。85年に小学館漫画賞受賞。87年にいったん終了したが、次世代を描いた「キン肉マン2世」などを経て、11年11月から週プレNEWSで現在も連載中。

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