落合博満氏 史上初の偉業へ、信子夫人も思わず叫んだ「逃げないで投げてよこせ!」

[ 2022年10月14日 17:10 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が14日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。3冠王に輝いた1985年に続き、2年連続、そして史上初となる3度目の3冠王に輝いた1986年シーズンについて、信子夫人(78)と思い出を語った。

 打率.360、50本塁打、116打点で3度目の3冠となった落合氏。四球も101個を選び、この年の出塁率.487はいまだに日本記録となっている。家でも、選球眼の良さも称えられていた落合氏だが、実はそれは信子夫人の言葉が強く影響していたという。「私いつも口癖で…。ストライクは3つ必ず来るわけだから。それを集中して」と語ると、落合氏もうなずいた。

 落合氏のプレーを信子夫人も家でラジオやテレビ中継、スポーツニュースなどでチェックするなど、二人三脚で3冠王の手にした。それでもシーズン終盤は苦しかったという。信子夫人は「勝負してくれない。3度目の3冠王で、ピッチャーが本気で投げてきてくれない。だから“逃げないで投げてよこせ!”みたいにテレビに私も(叫んでた)。どうしてフォアボールなの?って。空振りでもなんでも見たいわけなの、ファンは。もうどんどんどんどん3冠王、3冠王って、(テレビで)放送もするわけだから。その中で(3冠王を)獲ったってことはね。素晴らしい業績だと思う」と語った。

 実際、1986年は最後の出場15試合で22四球だった。今年、史上最年少で令和初の3冠王となったヤクルトの村上宗隆内野手は、最後の15試合で14四球だから、単純比較でも、その四球の多さは目立つ。信子夫人の「頑張ったね」という優しい言葉に、落合氏も「うん」と答えていた。

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2022年10月14日のニュース