中畑清さん 倉田誠さん悼む 限界悟った“フォーク”被弾

[ 2021年12月13日 05:30 ]

倉田誠さん死去

中畑清氏
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 3日前、倉田さんと同期の吉田孝司さんから涙声で電話がかかってきて、お別れをしてきた。ごつかった人が最期は50キロ。眠るように息を引き取ったというのが救いだった。

 出会いは私が1軍に定着した1979年。当時ヤクルトで投げていた倉田さんから後楽園でホームランを打った。2年後、フロントとして巨人に戻ってきた倉田さんに「カーブでしたね」と言ったら、ムッとして「フォークだよ」。あの一発で限界を悟ったらしい。

 堅物で、マネジャー時代は門限に厳しかった。名古屋遠征中、むしゃくしゃして気晴らしがしたくなり、お目こぼしをお願いしたことがある。「バカヤロー、そんなことできるか」。倉田さんはそう言いながら「何か問題を起こしたら、おまえの責任だぞ。俺は聞かなかったことにする」。門限破りを黙認してもらったのは、最初で最後だった。

 私のDeNA監督就任が決まった10年前には「本当はジャイアンツの監督をやらせたかったんだけどな」と言ってくれた倉田さん。その少し後から闘病が始まり、ここ数年は電話で声を聞くしかできなかった。いい先輩がまた一人…。お世話になりました。(スポニチ本紙評論家)

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