倉田誠さん死去 75歳 巨人V9支えた長身右腕、直球とフォーク武器に73年最高勝率

[ 2021年12月13日 05:30 ]

1968年、勝利し川上監督(左)と握手する倉田誠さん
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 元巨人投手でV9時代に活躍した倉田誠(くらた・まこと)さんが7日午前7時30分、心不全のために川崎市の自宅で死去した。12日、巨人が発表した。75歳。葬儀は近親者で行った。通算55勝で73年には最高勝率のタイトルを獲得。長く病気を患っており、60年代に女優・姿美千子として活動した郁子(いくこ)夫人(76)が闘病の様子を明かした。

 倉田さんは8年前から進行性核上性まひを患い、長いリハビリ生活を送っていたという。リハビリは週5日。苦しくても顔には出さず、郁子夫人は「子供たちは“お母さんに苦しんでいるところを見せて心配させたくなかったんだよ”と言ってくれた。亡くなる最後までお父さんらしい、信念のしっかりした人でした」と話した。

 2人が結婚したのは71年3月。郁子夫人は女優業を引退し、プロ野球選手の夫を支えた。堀内恒夫、高橋一三らとともに巨人V9の一翼を担った倉田さんは近年、車いすで生活。会話は「うん、うん」とうなずく程度で、食事はご飯を軟らかくしたものなどを取っていた。亡くなる1週間ほど前、珍しく食べたいものをリクエストし、好物のすき焼き丼、マグロ丼、うなぎなどを細かくして食べたという。7日も郁子夫人は午前5時30分に顔を拭き、水を飲ませるなどした。その直後に死去。「眠るような、穏やかな顔の最期でした」と振り返った。

 倉田さんは1メートル85の長身を生かした上手投げで、直球とフォークを武器に活躍。同じ昭和21年度生まれの選手で結成した「21年会」の仲間だった元阪神の田淵幸一氏(スポニチ本紙評論家)は「同学年で一緒にやった仲間がまたいなくなった。寂しい限り」と故人をしのんだ。

 かつてはプロゴルファーの尾崎将司、元楽天監督の故星野仙一氏ら21年会で毎年のように集まり、倉田さんは「真面目で何でもキチッとやる。私たちをまとめてくれた」と田淵氏。対戦相手としては「上手投げのダイナミックな投手」で、73年10月10日(後楽園)に倉田さんから打った満塁本塁打が忘れられないという。

 ▽進行性核上性まひ 大脳基底核、脳幹、小脳などの神経細胞が減少して転びやすくなったり、会話や飲み込むことが困難になったりする症状が見られる疾患。日本での患者は人口10万人あたり10~20人程度と推測されている。

 ◇倉田 誠(くらた・まこと)1946年(昭21)6月3日生まれ、東京都出身。鶴見から65年に巨人に入団。9連覇を達成した73年に18勝9敗、勝率・667で最高勝率のタイトルに輝く。77年からヤクルトでプレーし、78年の球団初優勝に貢献。80年の引退後は巨人で運営部長などを歴任した。通算成績は374試合で55勝37敗13セーブ、防御率3・36。右投げ右打ち。

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