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槙原寛己氏 倉田誠氏から背番「17」勧められ「非常に思い出深い」

[ 2021年12月13日 05:30 ]

倉田誠さん死去

槙原寛己氏
Photo By スポニチ

 元巨人の槙原寛己氏(スポニチ本紙評論家)は82年の入団時、倉田さんは広報部員だった。倉田さんの自宅が川崎市の合宿所に近く「後楽園の試合後はいつも車で送ってもらった。優しい人でした」。87年に背番号が54から替わった際には17、19が候補で、倉田さんに「17がいいんじゃない?」と勧められたという。17は倉田さん自身もつけた番号。後を継ぐ形となった槙原氏は「非常に思い出深いです」と話した。

 ▼堀内恒夫氏(V9時代の同僚)一三さん(高橋一三氏=15年死去)に続いて倉田さんまで逝ってしまった…。私が12勝しかできなかった1973年、18勝して連続Vを9につないでくれたことが忘れられない。頭が良くて、真面目だったからフロントとしても成功した。今頃は(一三氏との)義兄弟で積もる話をしてると思う。倉田さん、お疲れさま。

 ▼ソフトバンク・王貞治球団会長(長嶋茂雄氏とともにV9時代の主砲)長身から投げる球はとても力があって、同じチームでも練習ではてこずるくらい、いい投手でした。選手としてもマネジャーとしても頑張ってくれました。本当にありがとうと言いたいです。ご冥福をお祈りします。

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