【内田雅也の追球】「恐怖」に打ちかつ姿

[ 2021年2月28日 08:00 ]

練習試合   阪神8ー1中日 ※特別ルール ( 2021年2月27日    沖縄・北谷 )

<中・神 練習試合>初回無死一、三塁、佐藤輝は死球を受ける(投手・大野雄)(撮影・椎名 航)
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 旧石器時代、狩猟に用いられた石器にはナイフ、矢、おのの他に球形もある。獲物に投げつけるのか。ちょうど野球のボールほどの大きさだったと何かで読んだことがある。それほど手でつかんで投げやすく、殺傷力が強いということだ。

 直径約74ミリ、重さ150グラム足らずのボールが時速約150キロで向かってくる。打者はこの恐怖と闘わねばならない。

 阪神レジェンドテラー(HLT)の肩書もある掛布雅之が1998年に打撃論を語った『打つ~掛布雅之の野球花伝書』(矢島裕紀彦・小学館文庫)の第1章は<恐怖>にあてられていた。

 米野球記者、レナード・コペットが書いた『新・考えるファンのためのベースボールガイド』の第1章・打撃もまた<恐怖>から始まる。<恐怖とは打撃の根本的要素だ。その恐怖は本能的なものだ。打撃という行為は情緒的な矛盾に満ちている。楽しくあると同時に危険なのだ。打者がボールを強く叩くには後ろの足を踏ん張り、前の足を踏み込まねばならない。しかし、自己防衛本能が打とうとするボールから体を遠ざける>。

 実際、掛布は若トラとして人気上昇中だった78年5月10日、大洋戦(甲子園)で初めて頭部に死球を受け、しばらく打撃不振に陥った。踏み込めなくなったのだ。まだ33歳で現役引退となる88年は、失礼ながら、腰が退けた打撃姿勢ばかりが記憶に残っている。

 前置きが長くなった。阪神新人、佐藤輝明の本物ぶり、怪物ぶりを書きたい。27日の練習試合・中日戦(北谷)で、恐怖に打ちかつ姿を見た。

 1回表、沢村賞投手の左腕、大野雄大から右肩後背部付近に死球を受けた。1ボール―2ストライク、捕手の構えは内角低めだったが、右肩付近に速球が来た。体を翻し、うまく急所を外した。

 驚いたのは次の打席である。また左腕、福敬登に1―1後の速球は顔面近くへの速球だった。バットが止まらず空振りとなった。それでも直後の外角低め速球に踏み込んでファウルにし、後の変化球にも対応していた。10球粘っての遊ゴロ(敵失)に見入った。

 米コラムニスト、ロジャー・エンジェルが<熾烈(しれつ)な一騎打ちの最大の要素は恐怖心である>と書いた=『憧れの大リーガーたち』(集英社文庫)=。あの新人は一流の世界で堂々戦っていけると信じたシーンである。 =敬称略= (編集委員)

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