日本ハム・ドラ1伊藤 超異例!漁港で入団交渉「日本を代表する投手に」

[ 2020年12月2日 05:30 ]

仮契約を終えホッキ貝を持ってポーズを取る伊藤大海投手(撮影・高橋茂夫)
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 日本ハムからドラフト1位指名された苫小牧駒大・伊藤大海投手(23)が1日、北海道苫小牧市の苫小牧漁港で入団交渉に臨み、契約金1億円プラス出来高払い、年俸1500万円で仮契約した。太平洋に面した北海道鹿部町出身で、父・清光さん(50)はタコつぼ漁などを営む漁師。幼いころから親しんできた「大海」を前に、日本を代表する投手になることを誓った。

 見慣れた景色が、伊藤の緊張をほぐしてくれた。この日の苫小牧市の最高気温は2・8度、さらに肌を刺す海風。超異例の漁港での入団交渉を終え、特産のホッキ貝を手に笑みを浮かべた右腕は「日本を代表する投手になりたい」と意気込んだ。地元・鹿部町に面する太平洋を前に、大きな誓いを立てた。

 その名前「大海」には広く大きな海を突き進む人になってほしいとの思いが込められた。「野球歴と同じぐらい」の趣味の釣りでは、63センチのヒラメを釣り上げたこともある。「離す位置は(投球の)リリースと同じ」という。

 心を癒やしてくれるのも、この場所。「切羽詰まった時、リフレッシュしたい時」も、海へと足を運んだ。休みの日に1時間以上、ボーッと海を眺めたことも。「広い海を見ていたら、いかに自分が小さいことで悩んでいるのかと。しょうもないなと」。悩みをリセットして、また前を向く。そうやって、ここまでたどり着いた。

 プロ野球という「大海原」でもやるべきことは決まっている。大学日本代表で一緒だった甲斐野(ソフトバンク)は昨年の日本一に貢献し、森下(広島)も1年目の今年10勝を挙げて新人王をほぼ当確にした。「あの人たちにできるなら、僕もできるという感覚がある」。大学では先発、同代表では守護神を担い、どの役割でもこなせる自信がある。ともに日の丸を背負って戦った仲間に続き「ファイターズの顔として一日一日やっていきたい」と力を込めた。

 来年のテーマとする一文字は「勝」だという。「何ごとにも勝ちたい。自分のポジションを勝ち取る、チームとして勝ち上がっていく、それをモットーにやっていきたい」。最速156キロ右腕は、新たな大海で大物を狙い、釣り上げる。(竹内 敦子)

 ◆伊藤 大海(いとう・ひろみ)1997年(平9)8月31日生まれ、北海道鹿部町出身の23歳。小2から野球を始め、駒大苫小牧では2年時にセンバツに出場。駒大進学も1年秋に退学し、17年春に苫小牧駒大入学。2年春に公式戦デビューし、無傷の6連勝でリーグ優勝し全日本大学選手権出場。2、3年時に侍ジャパン大学代表入りした。1メートル76、82キロ。右投げ左打ち。

 ≪地元もエール 漁獲高日本一のホッキ貝のように!≫伊藤が記念撮影で手にしたホッキ貝は、苫小牧市公設地方卸売市場のマルトマ苫小牧卸売が用意した。苫小牧港はホッキ貝の漁獲高が19年連続で日本一。西田浩一社長(63)は「日本一の港で取れたホッキを食べて、日本一の投手を目指していただきたい」とエールを送った。ホッキ貝は刺し身や寿司ネタ、炊き込みご飯の具として主に用いられ、苫小牧では「ホッキカレー」も有名だ。「タウリンが豊富で滋養強壮に良い。食べて、息の長い野球選手になっていただければ」と西田社長。伊藤は市場併設の「マルトマ食堂」で「おいしいです」と舌鼓を打った。

 ◆実家が漁師の主なプロ野球選手

 ☆稲尾和久(元西鉄)別府湾で漁を営んでいた父・久作さんが、後を継がせようと幼少期から一緒に伝馬船に乗って櫓(ろ)をこいでいた影響で強い足腰が養われた。

 ☆盛田幸妃(元横浜)北海道鹿部町で実家が漁業に従事。小中学校時代には昆布を干したり、取れたスケソウダラを運んだりと家業を手伝った。「鹿部じゃ子供が家業を手伝うのは当たり前ですから」

 ☆森唯斗(ソフトバンク)父・勝美さんが徳島県海陽町で漁を営み、3トン漁船「唯斗丸」を所有。イカや伊勢エビ漁を手伝っており「網は意外に重いんですよ」。

 ☆竹安大知(オリックス)父・建さんが静岡県伊東市で伊勢エビやキンメダイの漁に従事。「父が取ってきたキンメダイのしゃぶしゃぶが大好物です」

 ☆佐藤龍世(西武)地元は北海道厚岸(あっけし)町で、実家がカキの養殖などを営む。19年1月の入寮時には友人から贈られた大漁旗を持参した。

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