ドカベン“モデル”新潟明訓率いた元監督 水島氏から「よく明訓を甲子園に出したね」とねぎらわれる

[ 2020年12月2日 05:30 ]

91年夏の甲子園で、初出場した新潟明訓をアルプススタンドで香川伸之さん(右)と応援する水島氏
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 水島新司氏の代表作「ドカベン」で主人公・山田太郎が所属する明訓高校の名前の由来となったのが、自身の当時の自宅近くにあった新潟明訓だ。84年から同校野球部の監督を務め、春夏合計8回の甲子園に導いた佐藤和也・新潟医療福祉大総監督(64)が、水島氏にまつわるエピソードを明かした。

 私が新潟明訓の監督になったきっかけはドカベンです。水島さんのおかげで明訓の名前は全国区になったが、新潟に明訓という高校があることを知る人はほとんどいなかった。甲子園に出て新潟明訓という高校があることを日本中に知らしめたい、という気持ちで引き受けたのです。

 91年夏、初めて甲子園に出場した時には電話をいただき、(愛称「ドカベン」の)香川伸行さんと一緒に甲子園まで応援に来てくれました。「よく明訓を甲子園に出したね」と言われた時は、本当にうれしかった。

 大会後には、ドカベンの単行本全巻を野球部にプレゼントしてくれて、週刊少年チャンピオン誌上に読み切りで「新潟明訓対神奈川明訓」と題した漫画を描いてくれました。私も実名で登場しています。その後も甲子園に出場するたびに連絡しました。

 水島さんにはいろんな面で影響を受けました。新潟明訓のユニホームの胸文字は就任当初は漢字だったのですが、私がドカベンの明訓と同じ字体のローマ字に変えました。指導法でも個性を生かして良いところを出し合うチームを理想としてきました。漫画家は激務だと思います。長い間やってこられて、お疲れさまと言いたいです。また描いてくれたらうれしい。60歳になったドカベンが何をしているか。読んでみたいですね。

 ◆佐藤 和也(さとう・かずや)1956年(昭31)8月31日生まれ、新潟県長岡市出身の64歳。長岡、日体大では捕手。84年新潟明訓監督に就任。91年夏の初出場を皮切りに夏7回、春1回甲子園に導いた。13年から新潟医療福祉大監督。今春から同大総監督。教え子に元広島投手の小林幹英氏、中日の笠原らがいる。

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