元阪神バッキー氏死去 82歳 外国人投手初の沢村賞&100勝

[ 2019年9月16日 05:30 ]

死去したジーン・バッキー氏
Photo By 共同

 阪神で通算100勝を挙げたジーン・バッキー氏が14日午前10時43分(日本時間15日午前0時43分)、腹部大動脈瘤(りゅう)手術後の合併症のため米ルイジアナ州ラファイエットの病院で死去した。82歳だった。テスト生から入団し、優勝に貢献。球団史に大きな足跡を残した外国人投手だった。

 生まれ故郷の米ルイジアナ州ラファイエットで過ごしていたバッキー氏は今月10日、右総腸骨瘤の手術を受けた。術後に合併症から脳卒中を併発。14日になり息を引き取った。5人の子どもら親族が見守った。米メディアの報道や家族が明らかにした。

 1937年8月12日生まれ。サウスウエスタン・ルイジアナ大(現ルイジアナ大学ラファイエット校)卒業後、米マイナーリーグでプレー。62年、3Aハワイ・アイランダース(現在は消滅)を解雇となり、日系人チーム・ハワイ朝日軍に所属した。同軍からの紹介を受け、同年7月、阪神が日本に呼び寄せてテストを行い、藤本定義監督が「磨けば光る」と合格を判断。入団となった。

 1メートル91の長身からの速球や時に横手から投げるなど、多彩な変化球もあり変幻自在な投球。特に独特に変化するナックルボールを武器としていた。

 2年目の63年に初勝利をあげるなど8勝。杉下茂投手コーチの指導もあり、64年には素質を開花させた。29勝(9敗)をあげ、防御率1・89で最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得しリーグ優勝に貢献。外国人投手初の沢村賞に輝いた。

 闘志をむき出しにした投球で村山実らとともに王貞治、長嶋茂雄のONコンビを擁する巨人を苦しめた。65年6月28日の巨人戦(甲子園)ではノーヒットノーランを達成した。

 68年9月18日の巨人戦(甲子園)で起きた乱闘騒ぎでは巨人・荒川博コーチとの争いで右手親指を骨折。負傷後は力が落ちた。
 69年、近鉄移籍。0勝7敗に終わって同年限りで引退した。

 実働8年間で通算251試合に登板、100勝80敗、防御率2・34の成績を残した。

 来日当初はドリス夫人とともに甲子園球場近くの文化住宅(アパート)に暮らし、自転車で球場に通った。通訳もなく、日本の生活に溶け込もうと懸命だった。藤本監督は「日本人以上に日本人らしい外国人だった」と評した。

 引退後は米国で高校や中学校の教師を務め、牧場も経営。2018年11月に発足した日本プロ野球外国人OB選手会では名誉会長を務めていた。

 また、阪神の後輩にあたるメッセンジャー投手とはSNSを通じて交流があった。

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