【令和新時代 夏のメモリー】ヤクルト・小川監督、台風順延のおかげで全試合完投も「今は時代違う」

[ 2019年8月16日 08:30 ]

第101回全国高校野球選手権大会

第57回大会、習志野・小川淳司投手のピッチング
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 台風10号の接近で甲子園から球音が消えた。1日の順延。これがどう影響するのか。かつて台風のため、優勝投手になった球児がいる。今から44年前の夏を制した習志野の小川淳司投手(現ヤクルト監督)だ。

 「あのとき、もし試合が流れてなかったら、決勝は投げられなかったかもしれないな」

 75年夏の甲子園は、2度の台風の影響を受けて計4日も雨天中止となった。そんな中、習志野はエース小川が3回戦から3試合連続完封。決勝進出を決めたその夜のことだ。「肩がうずいて眠れなかった」。実は広島商との準決勝。降雨中断の間、アンダーシャツを替えず、肩を休ませたまま再開後に投げた。元々不安だった右肩。翌朝、肩が上がらずアンダーシャツも着られなかった。

 「肩が痛くて投げられません」。当時の石井好博監督に初めてそう訴えたが、石井監督から「ここまで来て投げないのか!」と一喝された。肩を冷やすな、水を飲むな。「肩が痛ければ投げて治せ」という“逆療法”がまかり通った時代だ。覚悟を決めていたら決勝は中止。それも2日間も。おかげで「肩が上がるようになった」。サヨナラ勝ちした新居浜商との決勝も完投し、優勝投手になった。

 地方大会から甲子園決勝まで全試合完投しての優勝投手。球数制限が導入されれば、もう出現しないだろう。「40年以上前の話。今は時代が違うよ」。小川監督は短くそう言った。(秋村 誠人)

 《験担ぎでヒゲが流行》75年夏の甲子園は、地方大会から全試合完投して優勝した習志野・小川のほか、2つの快記録が生まれている。土佐(高知)の玉川寿が2回戦(対桂)で史上2人目(当時)のサイクル安打を記録。同じ2回戦で、浜松商(静岡)の高林基久が史上初(当時)の逆転サヨナラ本塁打を放った。習志野・石井監督は8年前に習志野のエースとしても優勝しており、優勝投手&優勝監督となった。また、この大会では験担ぎで無精ひげを伸ばす球児も多かった。

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2019年8月16日のニュース