川上野球の継承者は皮肉にも…上田利治氏「監督はこうあるべきと教わった」

[ 2013年10月30日 19:15 ]

川上哲治氏死去

 川上哲治氏が率いる巨人のV9時代が終わった後、球界の覇者となったのは75年から77年まで3年連続日本一となった阪急(現オリックス)だった。監督だった上田利治氏は川上氏から「偉大な方が亡くなられて残念です」と悼んだ。

 上田氏が阪急のコーチとして川上巨人と日本シリーズを戦ったのが71、72年。巨人も6年連続日本一となった後で、チームとしても充実していた時期だった。

 阪急も71年は貯金41で勝率6割7分2厘、72年が貯金32で同6割2分5厘と圧倒的な強さでリーグ優勝を勝ち取り、常勝巨人を破るのではないかと、下馬評は高かった。

 しかし、ふたを開けてみれば2年とも1勝4敗で完敗。シリーズになると、普段の野球をさせない巨人の威圧感をひしひしと感じていた。

 上田氏は74年に監督に就任。翌75年から4年連続でパ・リーグを制し、76、77年は川上氏の後を継いだ長嶋茂雄監督率いる巨人を破った。その戦い方はまさにV9時代の巨人がやっていたスキのない野球だった。川上野球を引き継いだのは、皮肉にも相手ベンチでその戦法をつぶさに見ていた阪急の上田氏だった。

 「監督としてこうあるべきだと、教わった。知らず知らずのうちに、教訓として入ってきていた」と上田氏は川上氏の影響が大きかったことをあらためて口にした。

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