朗希よりデカい!市原中央1メートル92サブマリン・松平 163球3失点完投!

[ 2022年7月13日 04:00 ]

第104回全国高校野球選手権千葉大会・2回戦   市原中央7ー3東京学館船橋 ( 2022年7月12日    第一カッター )

<東京学館船橋・市原中央>浮き上がるような直球とチェンジアップで打者を幻惑する松平(撮影・柳内 遼平)
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 第104回全国高校野球選手権(8月6日から14日間、甲子園)の出場を懸けた地方大会は12日、各地で継続試合を含む217試合が行われた。千葉大会では市原中央の1メートル92のサブマリン・松平快聖(かいせい)投手(3年)が2回戦の東京学館船橋戦で投げては3失点完投、打撃でも一発含む3安打と活躍し、チームを勝利に導いた。

 まるで海面に浮上する潜水艦のようなド迫力だ。松平は地上約5センチの高さにリリースポイントを設定。踏み出す左足を三塁寄りにインステップさせ、長い腕をしならせる。12安打を許すも、163球の熱投で3失点完投勝利。身長1メートル92のサブマリンは「浮き沈みせず自分の投球を貫けた結果です」と笑った。

 プロ注目の右腕は5番打者も担う大黒柱。4―2で迎えた6回はミサイルのような低い弾道の左越えソロを放った。スライダーを捉えた高校通算13号に「凄く気持ち良かった。自分が主役みたいな感じでベースを回った」と笑顔で振り返る。3安打2打点で自らを援護。球速は130キロ前後ながら下手投げ特有の浮き上がる直球を軸に、9三振も奪った。

 松平が育った千葉はアンダースローゆかりの地。同じ下手投げで専大松戸出身の高橋礼(現ソフトバンク)のフォームを参考にした。「ミスターサブマリン」としてロッテで87勝を挙げた渡辺俊介(現日本製鉄かずさマジック監督)のフォームも研究。「あの球速であれだけ抑えられる」と緩急の重要性を学び、チェンジアップを磨いたことで「剛」と「柔」を兼ね備えた。

 ロッテ・佐々木朗よりも2センチ高い1メートル92の長身。なぜ強い武器となる「角度」を捨てたのか。プロでも少ない変則投手の起源は母・枝里子さんが作った「ドカベン」だ。中学入学時は1メートル60で球速も遅く「打ちづらさを求めたい」と2年時に下手投げへ。息子の成長を願った母は練習日は米だけで3合(茶わん6~9杯分)もある巨大弁当を持たせた。卒業時は1メートル85に。フォームは戻さず、巨大サブマリンが完成した。

 帽子のひさしに記す文字は「誇」と「繋」。「この投げ方だからこそ結果が出ている。人を感動させられる夏にしたい」。誇りを持つフォームで同校初の甲子園への道を繋(つな)ぐ。(柳内 遼平)

 《細身で悩み「ラッパーみたいな…」》12月24日に生まれた松平はクリスマスの聖夜にちなんで快聖と名付けられた。24日は両親から誕生日プレゼントが贈られ、翌25日の朝にはサンタクロースからも届く。連日のプレゼントが松平家の恒例イベントで「一気に来て得した気分でした」と回想する。1メートル92の長身だが細身で似合う服のサイズがなく「ラッパーみたい(なオーバーサイズ)になってしまう」ことが唯一の悩みとのこと。

 ◆松平 快聖(まつだいら・かいせい)2004年(平16)12月24日生まれ、千葉県市原市出身の17歳。若宮小3年時に若宮ウイングスで野球を始める。八幡東中では市原シニアに所属。市原中央では1年秋からベンチ入り。憧れの選手は同じ下手投げでロッテなどで活躍した渡辺俊介。50メートル走6秒5。遠投90メートル。1メートル92、85キロ。右投げ右打ち。

 《本紙・川島記者 フォーム確立大変だった》今から20年以上前。私は立大野球部2年時に監督の指示でアンダースローに転向した。身長は1メートル83。やったことのない動きだから大変だった。まず右脇腹が痛くなり、次に左膝。市原中央の松平と同じインステップで投げていたから腰の負担も大きかった。右打者の外角を狙ったボールは勝手にシュートして真ん中に入るため打たれることも多かった。

 「教材」が少ない点も大変。当時はYouTubeがなかったから参考にした投手は社会人時代にシドニー五輪に出場した渡辺俊介。中継ぎで登板したイタリア戦の映像を録画し、ビデオテープがすり切れるほど再生した。「手首を立てて投げろ」と言われても、イメージが難しい。

 「ダフる」こともある。下半身が疲れてくるとリリースポイントがズレて、よく右手の小指を地面にこすった。フォームを確立するまでの苦労が手に取るように分かるため、今でも下手投げの投手には勝手に親近感が湧く。(巨人担当キャップ・川島 毅洋)

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