吉田の功績…勝ち続け、勝ち続けて“マイナースポーツ”に光を当てた

[ 2016年8月20日 05:30 ]

メダリスト会見を行った吉田沙保里

リオデジャネイロ五輪レスリング・フリースタイル女子53kg級決勝

(8月18日 カリオカアリーナ)
 04年のアテネ五輪で金メダルを獲得して以降、レスリング界を引っ張り続けた吉田はまさかの銀メダルに終わり、「(天国の)お父さんに怒られる」と号泣した。競技に負担がかかることを承知で日本選手団主将の大役も引き受けた。多くの責任と重圧を背負った中での大舞台だった。

 レスリングを日の当たるスポーツにしたい。その一心で走り続けた。サービス精神旺盛で、人当たりもいい。取材にも積極的。そして何より強い。アスリートとして際立つ個性の理由を、吉田の母・幸代さん(61)は「マイナースポーツですから」と説明する。

 両親が一志ジュニア教室を立ち上げた頃は、練習場所となる体育館を借りるのも一苦労だった。大会を行うには1年前に予約が必要だと言われ、その日一番に予約に行くと「もう地元のスポーツ少年団が入ってます」と断られた。練習マットも敷きっ放しは許されず、毎回の設置に大変な労力を要した。地元新聞社には全国優勝した子供の記事掲載を依頼すると「夏の甲子園が終わってからにしてください」と言われた。甲子園が終わって連絡してみたら「もう記事になりません」。自治体の広報誌も一緒。つまり見向きもされていなかった。

 父・栄勝さんは「いつか逆転する。向こうから体育館を借りてくれよと言われる選手をつくるんだ」と反骨心を燃やし、子供たちには「五輪に行けば変わるから頑張れ」とハッパをかけていたという。「実際にそうでした」と幸代さんは言う。

 吉田は勝ち続けた。今では女子レスリングに取材が殺到。来年10月には吉田の名を冠した屋内総合施設「サオリーナ」も三重県津市にオープンする。両親たちが苦しんだ時代を知っているからこそ、吉田はいつも先頭に立って競技の広告塔を務めてきた。4連覇の偉業は逃しても、その功績は決して色あせることはない。

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2016年8月20日のニュース