タカマツ・ヒストリー出会いは小学生で「ボコボコ」、オグシオに完敗も

[ 2016年8月20日 05:30 ]

<リオ五輪 バドミントン> 応援団の歓声を受けながら表彰台に登る高橋(右)と松友
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リオデジャネイロ五輪・バドミントン 女子ダブルス 決勝

(8月18日)
 00年 8月の全国小学生大会で出会う。当時、高橋は小学4年、松友は小学3年。3~4年の部のシングルスで高橋が優勝し、松友は5位だった。小学生時代の対戦は高橋は「あまり覚えていない」と振り返るが、松友は「ボコボコにされた」と言う。その後、文通から始まり、メールで交流は続いた。

 06年 高橋は高校1年、松友は中学3年。2人はアジアユース選手権で初めてペア。ダブルスで出場するはずだった高橋のパートナーが別の遠征で出られず、松友に声が掛かった。「即席で組んだ。個々の能力だけでやったけど、4強まで行った」(高橋)。

 07年 松友が高橋と同じ聖ウルスラ学院英智高に進学。6月にタカマツは正式に誕生した。3カ月後の全日本ジュニアで3位。08年には全国高校総体も制し、年末の全日本総合選手権では小椋久美子・潮田玲子のオグシオと対戦し、完敗した=写真(左)。

 11年 共に日本ユニシスに入社し、高橋が3年目、松友が2年目。松友がダブルスに専念することを決断。「松友の人生なので“ダブルスやろうよ”とは言えなかった」と高橋が言えば、「ダブルスを極めたいと思った。先輩じゃなかったら、極めようと思わなかった」と松友。全日本総合選手権で初の日本一。

 12年 国内4番手の位置付けで、ロンドン五輪出場はかなわなかった。

 14年 スーパーシリーズ・ファイナルを初制覇し、世界ランキング1位に。

 16年 リオデジャネイロ五輪で日本初の金メダル。高橋は言った。「ダブルスは2人で一つ。金メダルを獲るっていう気持ちが一緒だったから、ここまで来られた」。

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