ジョン・カビラ&川平慈英 共に“話す仕事”につく原因となった母の教育とは?「何かあるでしょ、と」

[ 2022年11月24日 17:38 ]

ジョン・カビラ(左)と川平慈英
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 DJのジョン・カビラ(64)と俳優の川平慈英(60)兄弟が24日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。5年前に88歳で他界したという母・ワンダリ―さんについて語った。

 川平家は長男がジョン、3男が慈英という3人兄弟。司会の黒柳徹子は「お父様は戦後沖縄初めてのアナウンサーで川平朝清さんとおっしゃる。95歳でいらっしゃって」とこの日収録を見学していたと報告。「川平家は琉球王朝に仕えた名家の末裔(まつえい)だということでいらっしゃって」「川平家は(沖縄の本土)復帰の年まで沖縄で生活をしてらした」とも紹介した。

 また、「お母さまはアメリカの方?」と尋ねると、ジョンは「はい」と幼少期の家族写真を披露。「父が留学のチャンスを与えられ、アメリカのミシガン州立大学に留学するんですけれども、そこで出会ったのが母・ワンダリ―ですね」と明かした。

 そうして家では何語で話していたのかと聞かれると、慈英は「母が部屋にいた場合は英語です。全ての会話を母国語で理解したい、子供達が何しゃべってるのか把握したいっていうか。だからちょっと日本語とかでしゃべると、“Would you speak in English for me?”、“私のために英語でしゃべって”とか。“Oh,yeah”とか」。ジョンも「父にも言われました、それは。“コミュニケーションをする際、1人だけ疎外されることはあってはならない”と。考えてみれば当然な気がしますけどね」と説明。慈英は「そのおかげで僕たちは小さい頃からバイリンガルで、本当に良かったと思います」と続けた。

 黒柳が「2人ともしゃべることが仕事になったのはお母さまが原因なんですって」と語ると、ジョンは「よく食卓で“きょうはどんな一日だった?”って言うのは聞かれてましたけど、当然ティーンエイジャーとか、中学高校の頃はよくある“別に何も”っていう返しが許されない。“何かあるでしょ”と」と回顧した。

 「あれきつかった」と話す慈英は英語で母から「きょう学校で何が起きたの?」と聞かれ、「何もなかった」と英語で返すと、「何もないなんてありえないわね。何かあるでしょ」とのきつい言葉が。慈英が「えーっと、チョコレートマーガリンが出た」と答えると、母は「なんかあったでしょ」と納得したという思い出を明かした。

 黒柳が「凄いじゃない。そのお母さまの教育。子供がいろんなこと忘れないようにとか、いろんなこと気が付くようにっていうのは必要じゃない。やっぱりぼんやりしてないで」と感心すると、ジョンは「そうですね」と同調。「それと母が経験していない日本の教育を受けている僕らの日常がどういうものなのかっていうものを知りたい。その思いが凄くあったんじゃないかと思うんですよね」と振り返った。

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2022年11月24日のニュース