ジョン・カビラ&川平慈英 沖縄本土復帰当時の思い出 慈英は100円を「100ドルだと」勘違いし…

[ 2022年11月24日 15:55 ]

ジョン・カビラ(左)と川平慈英
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 DJのジョン・カビラ(64)と俳優の川平慈英(60)兄弟が24日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。沖縄の本土復帰当時の思い出を明かした。

 川平家は長男がジョン、3男が慈英という3人兄弟。司会の黒柳徹子は「お父様は戦後沖縄初めてのアナウンサーで川平朝清さんとおっしゃる。95歳でいらっしゃって」とこの日収録を見学していたことも伝え、「川平家は琉球王朝に仕えた名家の末裔(まつえい)だということでいらっしゃって」とも紹介した。

 沖縄は今年本土復帰50周年を迎えたが、黒柳は「川平家は復帰の年まで沖縄で生活をしてらした」「何か変わったってことはありました?」と尋ねると、当時13歳だったというジョンは「復帰はもちろん72年以前に決まっていたことなので、いよいよ感っていうのもありましたし」と回顧。通貨がドルから円に変わったと振られると、「それは衝撃でしたね」としみじみと語った。

 「アメリカのドル、札、硬貨でしたから、郵便局で確か(両替を)…」と語ると、当時9歳だったという慈英は「長蛇の列でね、みんな交換してたりね。ドル紙幣から円に換える、街中がわっさわさしてたのを覚えてます」と続けた。ジョンは郵便局で両替をしたとし、「1万円札を最初に見た時の衝撃ってのはありましたね。なんでこんなに大きいんだろうって。アメリカのおじいちゃんからもらった二つ折りのウオレット(財布)には入らないんですよね。あと、金額に応じてなんでこんなにサイズが違うんだろうっていう。アメリカはドルは全く同じ大きさなんですよ。さらになんでこんなに彩り豊かなんだろうっていう」と振り返った。

 慈英は「いやあ、僕9歳だったから」としながらも「おつかいなんかして、父に褒められて100円頂いたんですよ。初めて日本円を。当時は1セントでガム買えましたから、1ドルなんて言ったら億万長者みたいな。100円もらった時に、100ドルだと思って」と勘違いしたという。

 「近くの駄菓子屋行ってぶわーっとあれこれあれこれ全部、ベストソーダからリグレーのチョコからハーシーズのチョコレートから、当時そういうブランドがありましたからね。カゴいっぱいにして、“おばあ、これ、100ドル”って言ったら“バカタレ”って言って全部取られて。残ったのがリグレーのガムとチョコレートぐらいですかね。衝撃、“えっ、100なのにこんだけしか価値がないの?”っていうのを覚えてます」と苦笑した。

 ジョンは「貨幣価値がこんなに違うのかっていう。同じ100でも全然違うっていう。だって(1ドル)360円の時代だもの」としみじみと話した。
 

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