TOKIO松岡 独立へ背中を押した事務所の“即答”「思っている何倍もポジティブなことができる」

[ 2021年7月22日 12:59 ]

TOKIOの松岡昌宏
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 TOKIOが、21日放送のフジテレビ系「TOKIOカケル」(水曜後11・00)に出演し、独立をめぐる秘話を明かした。

 4月から株式会社TOKIOとして、城島茂(50)を社長に、国分太一(46)が企画担当、松岡昌宏(44)が広報担当として再出発。国分は「会社を立ち上げるってなった時に、ジャニーズ事務所さんにどういうふうな形で言うのが一番いいのかなって考えたんですよ」と、事務所に初めて説明した当時を振り返った。会社設立の方向性については「私たち3人は、何となく同じ思いだった」という。「番組の企画書ってあるじゃないですか?あれを作ってジャニーズ事務所に説明する方がいいのかなって思って、初めてプレゼン(資料)をその時作ったりして」と、企画書を練って事務所と話し合いの場を持ったという。

 企画書には、松岡の「屋号は守ろう」という思いが込められたという。19年に前社長のジャニー喜多川さんが死去。松岡は「先代の社長が生きていたら、そうは思ってなかったと思って。旅立って、そこでTOKIOの重さが出た。深まった。重くなった」と明かした。

 独立を口にするからには、不退転の覚悟で臨んだという。「もし先代が生きていたら『ごめん、ちょっとダメでした』って言えるんだけど、言えないじゃん?お墓の前に行って『ダメでした』はちげえなとかって、自分の中であって」と胸の内を明かした。

 独立のタイミングについて、松岡は「俺の『屋号だけは』というのと、『じゃあ新しいことやってみようか』という意見が、すごくいいタイミングだったというのが一つ」と説明。さらに「ジャニーズ事務所の『おもしろいんじゃない?』という即答が(あった)。その一言で俺は、言い方は悪いけど、『50%以上、大丈夫だ』と。『おもしろいかもね』ということの方で動けるんだったら、自分が今思っている何倍もポジティブなことができるんじゃないかなと思った」と話し、「そこに焦りとかはなかった」と言い切った。

 本業のタレント以外にも、会社役員としてそれぞれに業務を抱える。国分が「後輩、絶対マネしちゃダメだよね?」とアドバイスを送ると、松岡は「しない方がいいと思う。選択肢が増えるのはいいと思うけど、あんまりおすすめはしない。あの、会議めんどくせえから」とぶっちゃけ、笑いを誘っていた。

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2021年7月22日のニュース