小松政夫さん死去…チャキチャキ博多っ子 山笠の季節は芸能活動休んで故郷へ

[ 2020年12月12日 05:30 ]

小松政夫さん死去

07年、インタビューに答える小松政夫さん
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 【悼む】長谷川法世の漫画「博多っ子純情」の舞台となった博多二中の3学年先輩が小松さんだった。

 その小松さんが2011年、10代目、日本喜劇人協会会長に就任した。何とか博多で祝う会をやろう、ということで友人たちと奔走した。福岡の政財界、マスコミ、博多山笠の関係者ら約300人が集まった。「やっと博多に恩返しできた気がする」と喜んだ小松さんの顔が目に浮かぶ。

 博多への強いこだわりとプライドが人一倍強い昭和の博多っ子だった。小松さんの生家は博多山笠の聖地として知られる櫛田神社のすぐ裏手。つまり神社で産湯につかり、山笠で育てられたチャキチャキの博多っ子というわけだ。

 このエリア以外の住民は、小松さんの言葉を借りれば「博多の人間じゃない」――。同じ福岡出身のタモリも武田鉄矢も小松さんにかかると「2人とも福岡の人」となる。

 7月、山笠の季節は芸能活動が臨時休業。祭りに参加した。帰郷するとすぐ本名の「松崎雅臣」に戻る。歓楽街の中洲ではしご酒。スケールの大きい飲みっぷり、といえば聞こえはいいが、単なる大酒飲みだった。へベレケの小松さんを担いでホテルに送り届けるのが後輩の務めだった。

 故郷の風、言葉、小松さんの胸に心地よく響いていたのだろう。「小松政夫」を武装解除した松崎先輩はふる里で博多っ子を謳歌(おうか)していた。

 しかし、その酒が小松さんの命を縮めたのかもしれない。

 父親の事業の失敗から、貧乏のどん底に叩き落とされた少年時代の話をよくしてくれた。夜間高校を出て、板前さんから車のセールスマンと職場を転々とした体験を面白おかしく、爆笑付きで話してもくれた。いろんな人に触れ、現場を踏んで感性を磨き、小松さんのギャグは生まれたのだろう。

 お疲れさまでした。どうぞあの世とやらで先に逝った山笠仲間たちと、浴びるほどお酒を飲んでください。先輩、お別れに一言、「あんたはエライ」――。(元スポニチ西部本社取締役編集局長・新貝 行生)

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2020年12月12日のニュース