小松政夫さん 俳優夢見て職を転々 セールスで磨いた話術 師匠・植木等さんのもとでギャグ量産

[ 2020年12月12日 05:30 ]

小松政夫さん死去

小松さん(左)の結婚式では植木等(後方)が仲人を務めた
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 福岡の裕福な家庭で、7人きょうだいの5番目として育った小松政夫さん。父親は厳格で鉄拳制裁は当たり前。ギャグ「痛えな、痛えな」も父親のゲンコツから生まれたものだ。実家の前に露天商のバナナ売りが店を出しており、その口上をまねた。笑いのセンス、芸の引き出しはこのときから蓄積されていた。

 13歳のときに父親が病死し貧しい暮らしに転落。高校卒業後、俳優を夢見て、兄を頼って横浜に出た。中央卸売市場の仲買人、寿司店の手伝いなど職を転々。コピー機のセールスで横浜トヨペットを訪れ、専務の女性に「奇麗だなあ」と迫っていたところ、“口のうまさ”に目を付けた営業部長がスカウト。車が高根の花の時代に、最高で月に22台も売るトップセールスマンに。「免許証のない人にも売った」との逸話も残している。

 芸能界に飛び込んでからは、セールスで鍛えた話芸でギャグを量産。「おやじ」と慕う植木等さんの「お呼びでない?こりゃまた失礼いたしました」も、小松さんが植木さんの出番でもないのに「出番です!」と生番組のカメラの前に送り出したことで生まれた。

 責任感は強いが、怖がりの一面もあった。1997年に過労で倒れた後には「舞台で倒れたらいけないと苦しんだ。迷惑かけたくなくて」と心境を吐露。家でも手帳を手に常にネタ探しをしていた。最近のバラエティー番組には「芸人さんの私生活の切り売り」と苦言も。最後は舞台での話芸にこだわった根っからの喜劇人だった。

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