さらば小松の親分…昭和彩った名フレーズ、希代のギャグメーカー 昨年舞台「大生前葬」直後からがん闘病

[ 2020年12月12日 05:30 ]

小松政夫さん死去

77年、秋葉原で「電線音頭」を踊る小松政夫さん
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 コメディアンで俳優としても活躍した小松政夫(こまつ・まさお、本名松崎雅臣=まつざき・まさおみ)さんが7日午前6時51分、肝細胞がんのため都内の病院で死去した。78歳。福岡県出身。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は妻松崎朋子(まつざき・ともこ)さん。クレージーキャッツの植木等さんの付き人兼運転手を経てデビュー。電線音頭などが人気を呼び「小松の親分」の愛称でも親しまれた。

 昭和を代表する喜劇役者が静かにこの世を去った。

 昨年10月に芸能人生の集大成として舞台「『うつつ』小松政夫の大生前葬」を上演し、話題となった小松さん。マネジャーによると、この舞台の幕を下ろした昨年11月、年1回の定期健診で肝細胞がんが見つかった。その後、仕事を続けながら入退院を繰り返し、抗がん剤治療などを受けてきたという。先月14日に入院し、7日に家族に見守られて息を引き取った。入院先では新型コロナウイルス感染予防として、面会は家族しか認められなかったため、仕事関係者に入院を伝えていなかったという。

 妻の朋子さんは本紙の取材に「入院中は“これからもっと舞台を頑張りたい。あちこち回りたい”と言っていました。亡くなって一番びっくりしているのは本人かもしれません」と、病床でも仕事への意欲は衰えなかったことを明かした。

 最後の仕事となったのは、10月26日放送のNHKラジオ第1「武内陶子のごごカフェ」。役者としては8~9月放送のNHKBSプレミアムドラマ「すぐ死ぬんだから」となった。同作では三田佳子(79)に思いを寄せる高校の同期生役を好演した。映画「モルエラニの霧の中」は新型コロナの影響で公開が3月から来年2月6日に延期になっており最後の公開作となる。

 植木等さんの運転手兼付き人として、芸能界に飛び込み、日本テレビ「シャボン玉ホリデー」でデビュー。当時、クレージーキャッツの絶頂期で、小松さんの睡眠時間も1週間で10時間程度という日々が続いたが「おやじさん(植木さん)のそばにいられるだけで幸せ」と話していた。

 68年に独り立ち。一躍、その名を押し上げたのがTBS「笑って!笑って!!60分」(75~81年)と、NET(現テレビ朝日)の「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(76~78年)だった。代名詞にもなった「小松の親分」は「笑って…」で、子分役の伊東四朗(83)が、落ち込む親分役の小松さんを励ますコントが人気になり、その呼び名が定着したもの。また、伊東とのコンビでこたつの上でおっとっとと踊る「デンセンマンの電線音頭」や♪しらけ鳥 飛んでゆく南の空へ みじめ…と歌う「しらけ鳥音頭」が「みごろ…」で大ヒットした。

 ギャグが多数ある一方で、俳優としては喜劇だけでなくシリアスなものまでこなした。芸域は広く、亡くなる直前まで講演会のオファーが相次いでいた。惜しむ声はしばらくやみそうにない。

 ◆小松 政夫(こまつ・まさお)本名松崎雅臣。1942年(昭17)1月10日生まれ、福岡県出身。週刊誌で植木さんの付き人募集の広告を見て応募し、64年に採用。「シャボン玉ホリデー」でデビューし、68年に独立。映画評論家・淀川長治さんのモノマネでも人気だった。俳優としても映画「駅 STATION」、ドラマ「前略おふくろ様」「ゆうひが丘の総理大臣」などに出演。日本喜劇人協会会長も務めた。

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