広島のエースとして活躍、沢村賞2度受賞の北別府学氏が死去65歳 20年1月に成人T細胞白血病公表

[ 2023年6月16日 16:00 ]

北別府学氏
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 元広島の投手で野球解説者の北別府学(きたべっぷ・まなぶ)氏が16日午後0時33分、広島市内の病院で死去した。65歳だった。

 広島時代にエースとして通算213勝をマーク。沢村賞を2度獲得し、2012年には競技者表彰で野球殿堂入りした。20年1月に自身のブログで成人T細胞白血病(ATL)を患っていることを公表。同年5月には次男をドナーとする骨髄移植を受けた。21年6月には転倒して側頭部を10数針縫い、尾てい骨を骨折。21年11月には大腿骨骨折が判明して人工大腿骨にする手術を受け、22年には3月の尿毒症に続いて6月には敗血症を発症するなど入退院を繰り返していた。

 北別府さんは都城農(宮崎)から1975年ドラフト1位で広島に入団。ルーキーイヤーの76年に初勝利をマークすると、多彩な変化球と「精密機械」と称された卓越した制球力を武器に白星を量産した。78年から11年連続で2桁勝利を記録し、79年にはチームトップの17勝を挙げて、球団史上初の日本一に貢献。5度の優勝、3度の日本一に貢献するなど、長きに渡って投手陣の柱としてチームを支えた。個人タイトルも沢村賞、最多勝をそれぞれ2回、最優秀防御率を1回獲得するなど、記録にも記憶にも残る投手だった。

 94年のシーズン限りで現役を引退。引退後は鋭い観察眼で野球評論家としても活躍。2001年から4年間、広島の投手コーチも務めた。10年からは沢村賞の選考委員を務め、12年には野球殿堂に競技者表彰のプレーヤー表彰で選出された。


 北別府 学(きたべっぷ・まなぶ)1957年(昭32)7月12日生まれ、鹿児島県出身。都城農から1975年ドラフト1位で広島に入団。79年に17勝を挙げて球団初の日本一に貢献。82年には自身初のシーズン20勝をマークし、沢村賞、最多勝を獲得した。広島一筋で19年間プレーし、94年限りで現役引退。通算515試合の登板で213勝141敗5セーブ。現役時代は1メートル81、85キロ。右投げ右打ち。

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