【昭和の甲子園 真夏の伝説(8)】バンビ坂本VS江夏2世 列島注目の一戦は「史上初」の劇的な結末

[ 2022年8月13日 07:10 ]

大フィーバーを巻き起こした東邦・坂本
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 甲子園の熱い夏が始まった――。第104回全国高校野球選手権が6日に開幕。幾多の名勝負が繰り広げられた聖地で、今年はどんなドラマが生まれるのだろうか。今回は「昭和の甲子園 真夏の伝説」と題して、今も語り継がれる伝説の試合を10回にわたってお届けする。

 ドラフト1位確実の「江夏2世」VS投手経験5カ月の15歳エース。1977年(昭和52年)の決勝は異色の対決となった。東洋大姫路(兵庫)の松本正志は剛速球を武器に圧倒的な強さで勝ち進んだ。春3度の優勝経験のある愛知の名門・東邦のエースは1年生の坂本佳一。入学後、投手に転向した華奢な右腕が母校を初の夏決勝に導いた。豪腕VSアイドル。延長にもつれこんだ両エースの対決は夏の甲子園史上初の劇的な結末を迎えた。

~江夏2世と15歳対決 満員の甲子園が揺れた~

 地元の「江夏2世」と大会が進むにつれ人気が沸騰した1年生の競演。8月20日甲子園は5万8000人の観衆で埋まった。

 初回東洋大姫路は坂本を攻め無死満塁。打席には大会15打数6安打5打点の4番・安井浩二。松本の女房役であり主将でもある。カウント1ストライクからの2球目、坂本のカーブにタイミングを外される。遊ゴロで本塁封殺。後続が倒れ絶好の先制機を逃してしまった。

 2回、東邦が先手を取った。5番・立松が遊撃強襲安打で出塁するとすかさず二盗。井上の送りバントで1死三塁とし吉川は右前打。準決勝まで4試合で37回自責1。防御率0・24のスーパーエース松本から1点をもぎ取った。

 東洋大姫路は3回、1死一、三塁の同点機に打席はまたも安井。カウント1ボールからの2球目、坂本の伸びのある速球に詰まらされ二ゴロに倒れた。4回、思わぬ形で1点が転がり込む。1死から後にプロゴルファーとなる平石武則が右中間へ三塁打。四球で一、三塁。続く山本はカウント1ボール2ストライクからスクイズを試みるも坂本がウエスト。外された。平石は三本間に挟まれたが、三塁手が捕手からの送球を後逸。同点。5回以降、試合は松本―坂本の投げ合い。「0行進」が続いた。

~本格左腕・松本 最後の夏に覚醒 戦国兵庫を制覇~
 
 左の本格派・松本にはプロから熱い視線が注がれていた。1メートル78、76キロの均整のとれた体。胸を張るダイナミックなフォームから繰り出すストレートは重く速かった。2年生で出場した76年センバツ。準々決勝の智弁学園(奈良)戦で先発し、3失点完投。3年生エースと両輪で4強に進出し、自信をつかんだかに見えた。ところが課題の制球力がなかなか修正できない。76年夏の兵庫大会は決勝に進出したが、自らの失策と押し出し四球などで市神港にKOされ春夏連続出場を逃した。新チームとなった同年秋も兵庫大会で敗退。センバツ選考につながる近畿大会に出場することができなかった。松本の成長を促すため梅谷馨監督は手を打った。「松本をリードできるのはこの男しかいない」と三塁手の安井を捕手にコンバート。「マツ、力いっぱい投げてこい。俺、監督にキャッチャーやれといわれたんや」と笑う主将の思いが伸び悩むエースの心に響いた。バックネットに古タイヤを吊し、その穴をめがけてひたすら投げた。翌77年5月の春季近畿大会はPL学園を破り優勝。大会中、虫垂炎を患ったが注射と投薬で散らしながら乗り切った。迎えた最後の夏。兵庫大会は絶好調。準決勝は洲本実を完封。決勝は市尼崎を8回までノーヒットに抑える投球。9回、124球目を打たれ大記録はならなかったが完封で悲願の夏切符を手にした。

~公立中学で外野手 名電不合格 一般入試で東邦入り~

 後に甲子園の1年生エースとして名をはせる早実・荒木大輔やPL学園・桑田真澄らは中学校時代にシニアの大エース。実績を残して名門校の門を叩いた。坂本は違う。硬式野球を本格的にやった経験は無かった。名古屋市立明豊中では軟式野球部。「肩がいい」ことを買われて投手は2度経験しただけだった。定位置は外野手で9番打者。中学校3年生の10月、父と連れだって愛知県内で新興の強豪として注目されていた名古屋電気(現愛工大名電)のセレクションを受けたが「体が細すぎるので」と“不合格”となった。

 坂本には甲子園ともう一つ目標があった。高校野球では「投手になること」だ。東邦には一般入試で入学した。セレクションでの入学組とはスタートラインが違う。入学式当日「自分からやりたいと先生(阪口慶三監督)にいいました。すんなり投げさせてもらってうれしかった」入部直後のキャッチボール。投手らしい回転のいい球筋が名将の目に留まった。3カ月後、15歳の1年生は背番号「10」のユニホームを渡され名門・東邦のメンバー入りを果たした。愛知大会の決勝は因縁の名古屋電気。1失点で完投勝利を挙げた。

 坂本が夏の甲子園全国41代表最後の名乗りを挙げた8月1日。前日に出場を決めた東洋大姫路が甲子園で公式練習を行っている。マウンドから20球を投げた松本は「体調はベスト。自信はあります」といいきった。19日後、同じマウンドで坂本と球史に残る名勝負を演じることは誰にも分かっていなかった。

~3カ月で修得したスライダーで連続完封 童顔エースに女性ファン殺到~
 
 「江夏2世」擁するV候補大本命の東洋大姫路は横綱相撲で進撃する。一方の東邦は試合を重ねるごとに力を発揮していった。その中心は背番号「1」の坂本。初戦の2回戦、高松商(香川)は5安打2失点。「先生の指示通りに投げました。とくにスライダーがよかった」入学後、わずか3カ月で修得したキレのいいスライダーを武器に3回戦の黒沢尻工(岩手)、準々決勝の熊本工を連続完封。準決勝では地元の古豪・大鉄(現阪南大高=大阪)に完投勝ちした。「きょうも負けるつもりで投げました。相手はみんな大きな人たちで、ヒゲも濃いし…。ただ一生懸命投げただけです。勝てたのは先輩が盛り上げてくれたからです」。1年生投手の決勝進出は1926年(大正15年)静岡中・上野投手、68年(昭和43年)の静岡商・新浦壽夫投手以来のことだった。

 スリムな15歳の童顔エースは勝ち進むごとに話題となり、人気はうなぎ上り。ファンレターは1日40~50通。宿舎、練習場、甲子園入りでファンが殺到した。「初めはうれしかったですが、今は逃げるのに走らなければいけないので、しんどいです」。大会中のスポーツニッポン紙面では「バンビ」の文字はない。愛称は坂本人気が続いた大会後につけられたものだ。

~1―1の投げ合いで延長突入 坂本の158球目 右翼へ~

 運命の決勝戦。松本―坂本の投げ合いで試合は延長にもつれこんだ。その時は10回に訪れた。東洋大姫路は1死から田村が右前打。松田の送りバントで2死二塁。東邦バッテリーは3番・松本を敬遠した。打席は2度のチャンスで坂本に抑えられていた安井。「俺と勝負してくると思っていた。渾身の力で振りました」坂本の投げた158球目。外角高めの直球をフルスイング。打球は右翼ラッキーゾーンへ飛び込んだ。夏の甲子園史上初の決勝サヨナラホームラン。松本の目に涙はなかった。笑顔でダイヤモンドを回ってきた主将に夢中で抱きついた。「安井はキャプテンだからやってくれると思っていた。あいつはチャンスに強いんです」

 坂本は首をひねりながらマウンドを降りてきた。「打たれてもともとだし一生懸命やったので悔しくありません」といった。東邦ナインの目にも涙はなかった。

 松本は秋のドラフトで阪急(現オリックス)から1位指名を受けプロ入りも、通算1勝に終わった。坂本は翌78年夏、愛知大会決勝で中京(現中京大中京)に敗れるなど勝ち運に恵まれず再び甲子園の土を踏むことは出来なかった。「剛腕VSバンビ」。時代は変わっても伝説の決勝戦として人々の記憶に残っている。

~全日本選抜メンバー外も星稜・小松、福島商・三浦ら上位指名~

 〇…大会後、8月31日出発の韓国遠征の高校選抜が発表された。選ばれたのは準決勝に進出した東洋大姫路、東邦、大鉄、今治西の4校の選手のみ。東洋大姫路、東邦が各5名で松本、坂本はともにメンバー入りしている。大鉄、今治西が各3名の16名。秋のドラフトで指名されたのは阪急1位の松本のみ。大鉄・前田友行がドラフト外で阪神に入団した。高校選抜メンバー以外で77年大会に出場し、同年秋にドラフト指名された選手には中日に2位指名された星稜の小松辰雄。阪急に2位指名された福島商の三浦広之、同じく近鉄2位の智弁学園・山口哲治らがいた。

 【昭和52年出来事】6月=樋口久子全米女子プロゴルフ制覇 9月=王貞治本塁打世界新756号、ダッカ日航機ハイジャック事件 11月=ドラフト会議でクラウンライターが法政大学の江川卓を指名▼プロ野球=セ巨人、パ阪急▼ヒット曲=「渚のシンドバット」「昔の名前で出ています」

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