【内田雅也の追球】不調時は古今東西「練習」晴れやかな空が待っていると信じたい

[ 2022年4月27日 08:00 ]

練習開始前に円陣を組む野手陣
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 阪神今季の負けっぷりはまさに歴史的で、引き合いに出されるのが1950(昭和25)年の国鉄(現ヤクルト)である。現在5勝20敗1分け(勝率・200)。当時の国鉄は同じ26試合消化時で3勝22敗1分け(同・120)だった。

 国鉄は前年からの2リーグ分立でセ・リーグ8番目の球団となった。加盟承認は新年1月12日。全国の鉄道管理局の選手を中心に編成した急ごしらえのチームだった。

 堤哲『国鉄スワローズ1950―1964』(交通新聞社新書)を読んで驚くのは50年シーズン中、セ・リーグが5月29日から6月14日までの17日間、国鉄の試合を組まなかったことだ。<キャンプをして戦力アップを図れ、といういわば強制命令だった>。実際に合宿練習に割いた。

 すると成績は上向いた。月別勝ち星をみると3~6月は2勝―2勝―2勝―1勝だが、7月以降は8勝―6勝―4勝―8勝―9勝。11月は勝率5割である。

 老舗の阪神を急造チームと比べるのは情けなくもなるが、練習の効果はあったとみたい。合宿中の6月13日付本紙に記者座談会があり「セントラルで面白い存在は国鉄だ」と、台風の目としての期待が読める。

 金本知憲(本紙評論家)も26日付本紙で<選手は練習あるのみ>と書いていた。不調時は<練習しかなかった。自分なりの練習をして、いい形を少しでも取り戻すこと。選手個々にできることはそれしかない>。

 練習第一は古今東西、変わりない。2008年、ワールドシリーズを制するフィリーズの監督、チャーリー・マニエルがある日、田口壮に「調子の悪い選手はどうすればいいのかな?」と聞いた。田口が「練習するしかないでしょう」と即答すると「やっぱりそうか」と得心し、激しい練習をさせた。田口の著書『脇役力(ワキヂカラ)』(PHP新書)にある。

 マニエルがヤクルト在籍時の監督は広岡達朗、近鉄時代は西本幸雄だった。練習はうそをつかないと知っていたのだ。
 「正直者がバカをみる世の中だけどな」と西本は先頭に立ち、愚直に汗を流し、優勝に導いた。「努力は報われることを証明したかったんや」

 練習にこそ明日はあると信じたい。甲子園の試合を中止にした春の嵐もいずれやむ。晴れやかな空が待っている。=敬称略= (編集委員)

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2022年4月27日のニュース