大島康徳さん ミスター引退試合で“次代のスター”として花束 通算2204安打はプロ野球歴代19位

[ 2021年7月6日 05:30 ]

元中日、日本ハム 大島康徳さん死去

74年、長嶋茂雄(中央)の引退試合で花束を渡す大島さん(左)。背番1は王貞治
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 大島さんは母校・大分県立中津工入学まで野球経験はなし。高校時代は投手だった。そこから地道にコツコツと、プロ野球歴代19位の2204安打を積み上げた。遅い歩みでも一歩一歩。それが大島さんの野球人生だった。

 中学ではテニスやバレーボール、相撲をやっていた。バレーボールをする姿を見た中津工の小林昭正監督に口説かれ、高校から野球を始めた。甲子園出場はなし。68年ドラフト3位で中日入り。入団後、投球練習で1球投げただけで投手失格を告げられ打者に転向。71年6月17日のヤクルト戦に初出場し、先発出場して9回に本塁打を放った。

 74年10月14日の巨人・長嶋茂雄の引退試合では、次代の球界を担う若きスターとして花束を渡した。9年目の77年に三塁手としてようやくレギュラーの座をつかみ、83年には36本塁打で山本浩二(広島)と並び本塁打王。「ミスタードラゴンズ」として活躍した。

 野球人生のハイライトは日本ハムにトレード移籍後の90年。8月21日オリックス戦で史上25人目の通算2000安打を達成した。「僕以外の24人はスーパースターばかり。まさか自分が2000本も打てるなんて…」。2290試合、8312打席目。39歳10カ月での達成は当時の最年長記録だった。引退は94年、43歳の時。26年間の現役生活を終え、セレモニーでは「悔いはない」と涙を流した。

 プロ野球史上唯一、1イニング2本塁打を2度記録。76年にシーズン最多記録の7本の代打本塁打を放った。94年5月4日の西武戦では代打逆転満塁本塁打。43歳6カ月、史上最年長のグランドスラムだった。

 長く、コツコツとプレーしたからこその勲章。2000安打を達成してベストナインの受賞経験がないのは大島さんと松原誠(大洋)の2人だけ。06年の第1回WBCでは侍ジャパンの打撃コーチを務め、世界一に輝くと「昔からオリンピックに出場するのが夢だった」と号泣した。

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