大島康徳さん べらんめえ口調に覆い隠した気遣い 照れ屋で強がりな一面も

[ 2021年7月6日 05:30 ]

元中日、日本ハム 大島康徳さん死去

00年、日本ハムの監督としてベンチで笑顔を見せる大島さん
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 最後に「監督」と呼べたのは、18年5月だった。所用で都内の自宅に伺った。がん公表から約1年。担当記者時代から20年近い年月がたっており、どんな顔でお会いすればと緊張していた私の心の内を見透かしたように「おう、久しぶりだな。お互い年とったな」と満面の笑みで出迎えてくれた。

 まだ本拠地が東京ドームだった頃の日本ハム指揮官。当時、そんな笑顔はなかなか見せてくれなかった。対応は素っ気なく、取材の際にリップサービスなどは皆無。こちらの不手際で怒鳴られたこともあった。マスコミ嫌い…。そんなイメージでしたよ、と昔話を持ち出すと、意外な答えが返ってきた。

 「わざとな。だって、全部話さないといけなくなるじゃん。そういうところは下手だったな、俺は。もうちょっとうまくやれれば良かったけど」

 演じていた。記者と一定の距離を置くために。自分の発言で選手に余計な影響を与えたくなかったのだろう。少し乱暴な、べらんめえ口調で覆い隠した優しさ、気遣い。ある主力選手が話していた「選手のことをよく考えてくれる、いい監督だよ」との言葉に、ようやく合点がいった。

 照れ屋で強がりな人でもあった。体調を心配すると「タバコも吸ってるよ。遠慮したってしょうがねえだろ。大丈夫、好き勝手にやってるよ」。もう、だまされませんでしたよ、監督。ブログにつづられた言葉の数々。どれだけ家族を思い、闘病生活を頑張っておられたか。どれだけ多くの人に勇気を与えたか。「寿命まで生きるよ」と笑った顔が忘れられない。(00、01年日本ハム担当、現福島支局長・小川 裕之)

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2021年7月6日のニュース