大谷「憧れていた」松井氏に並んだ日本選手最多31号!試合数約半分で上り詰めた“最高峰”

[ 2021年7月6日 02:30 ]

ア・リーグ   エンゼルス6ー5オリオールズ ( 2021年7月4日    アナハイム )

<エンゼルス・オリオールズ>3回、31号ソロを放つ大谷(AP)
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 エンゼルスの大谷翔平投手(27)が4日(日本時間5日)、オリオールズ戦の3回に中越えに31号ソロ。7戦7発でシーズン60発ペースを維持し、83試合目で少年時代からの憧れだった松井秀喜が04年にヤンキースで記録した日本選手のシーズン最多本塁打に並んだ。日本時間5日は27歳の誕生日で、この日はファン投票によるア・リーグDH部門に続き、選手間投票による先発投手での球宴選出も決定。自らダブルで祝砲を打ち上げた。

 2015年3月21日。大谷は松井氏と初対面を果たす。東京ドームで行われた東日本大震災の復興イベント。野球教室でキャッチボールを行う機会もあった。大谷は身長1メートル93で、松井氏は1メートル88。それでも少年時代からの憧れの存在で「体が大きくてオーラがあった」と感激していた。

 6年後。急激な成長曲線を描く大谷が松井氏が04年に樹立した記録に肩を並べる。3回1死。中堅に伸びた打球が球場名物の岩山「ロックパイル」右横の芝生に達した。メジャーで日本選手最多の31号。普段は記録に執着しない男も「小さい頃から見ていた、憧れていた選手に並べたっていうのはうれしい」と珍しく声を上ずらせた。

 小学2年だった02年に野球を始めた。松井氏は巨人在籍最終年で同年オフに海を渡り、名門のヤンキースに入団。同じ左打者でイチローと同様に憧れ、メジャーを最初に志したきっかけだった。松井氏がメジャー2年目の04年に31号を放ったのはシーズン終盤の159試合目。大谷は二刀流であるにもかかわらず約半分の83試合目だ。「まだまだ前半(戦)なので、一本一本積み上げていけたら」。これで7戦7発で再びベーブ・ルースに並ぶシーズン60発ペース。直近7安打が全て本塁打と驚異の量産ぶりだ。松井氏が入り込むことができなかった本塁打王争いは2位のゲレロ(ブルージェイズ)との差を4に広げた。

 日本時間5日は27歳の誕生日で、この日は朗報が届いた。球宴の最終メンバーが発表され、ファン投票で選出されたDH部門に続き、選手間投票で先発投手でも選出。1933年に始まった球宴で投打同時選出は史上初の快挙となった。前日恒例の本塁打競争も含め、今夏は「大谷一色」となりそうな夢舞台。打者では日本選手初の柵越え、そして投手での出場も期待される二刀流は「初めてなのでまずは楽しみたい。ホームランダービーとかもあるので、全体的にそうやって楽しめたら」と初々しく話した。

 かつての松井氏のようにプロ野球を目指す子供たちに夢と希望を与えている大谷。コロナ禍で沈む世界中のファンも魅了している。(柳原 直之)

 ≪記念のボールはスタッフが回収≫大谷のホームランボールは球団スタッフが回収した。観客席への打球は原則、そのボールを捕った観客のものだが、今回のような「記念球」はスタッフが交渉して回収することが多い。その後に選手本人や米国野球殿堂博物館などに届く段取りとなる。今回、協力したファンには大谷の直筆のサインボールが手渡されたという。

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