【藤川球児物語(21)】交流戦元年にパを席巻した“火の玉” 松坂との初対決「楽しめた」

[ 2020年12月3日 10:00 ]

05年5月18日の西武戦(甲子園)、7回2死から松坂の打球を足で止めようとした藤川球児

 その名は球界を席巻していった。2005年のシーズンから初めてセ、パ交流戦が導入された。火の玉と呼ばれるストレートを投げる男「藤川球児」の存在はリーグの枠を超えて、伝わっていった。

 交流戦2カード目、5月13日からの甲子園での楽天3連戦では3連投で3連勝。2戦目、3戦目では6連続奪三振をマーク。3戦目には153キロを計測した。

 ネット裏に陣取るスコアラー陣から「こんな凄い投手がいたとは…」とため息が漏れた。前年までは1軍半クラス。まさしく大化けだ。「ストレートが走っている感じはある。でも、おごらずにやりたい」。登板とともに、チームの勝利も増えていった。

 5月18日の甲子園での西武戦も藤川の記憶に残る対戦だった。ドラフト同期、そして同年代の松坂大輔との公式戦初対決。試合は2回に桧山進次郎の先制2ラン、5回に相手ミスで加点。松坂も8回3失点、13奪三振を記録したが、阪神は3―2で逃げ切った。藤川もお決まりの7回に登板。2死から打席に松坂を迎えた。151キロを松坂のバットが捉えた。右足で打球を止めようとしたが、打球はしっかりと鳥谷敬が処理した。

 「松坂との対戦? 楽しめました。空振りが取れなかったのが残念ですけど」

 5月は13試合に登板し、月間防御率は0・00。6月も15試合に登板し、3勝するとともに8連続を含む10ホールドで月間MVPを獲得した。

 「何で自分かという気持ちです。中継ぎが注目されることは少ないから。とにかく投げることが幸せ、チームが勝っていることが幸せ、そして、その中にいることが本当に幸せです」

 監督・岡田彰布はJFKの体調管理に神経を注いだ。ブルペンで肩を作るのは1回だけと決めた。力は実証された。あとは覇権を獲りにいくだけ。堀内恒夫が率いる巨人が脱落。残るは落合博満の中日。藤川もターゲットを絞っていた。=敬称略=

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2020年12月3日のニュース