DeNA・仁志2軍監督 恩師通夜で「木内イズム」継承誓う「親以上の存在です」

[ 2020年12月3日 05:30 ]

野球のダイヤモンドがかたどられた木内氏の祭壇(撮影・篠原岳夫)
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 肺がんで11月24日に死去した元常総学院監督の木内幸男氏(享年89)の通夜が2日、茨城県取手市の「やすらぎ苑」で営まれた。取手二、常総学院の監督として春夏通算3度甲子園で優勝し、甲子園通算40勝の名将。雨が降る中で参列した約2400人が故人との別れを惜しむ中、常総学院時代の教え子で来季はDeNA2軍監督となる仁志敏久氏(49)は「木内イズム」の継承を誓った。3日に同所で葬儀・告別式が行われる。

 祭壇は野球のダイヤモンドをかたどって花が飾られ、棺の上には故人が愛用したグラウンドコートと3つの甲子園優勝メダル。そしてサインボールが一つ置かれていた。巨人時代に仁志氏が贈った思い出の品だ。故人が大切にしていたもので、3日に棺に入れられて一緒に天国へ持って行くという。

 遺影を見つめ、静かに手を合わせた仁志氏は言った。「思い出はたくさんあり過ぎて何か一つを思い出すことはできない。元気に大きな声でしゃべって歩き回っている姿が焼き付いてます…」。87年に常総学院に入学し、すぐに素質を認められた。1年春からレギュラーで夏の甲子園で準優勝。まさに木内野球の申し子だ。試合中は常にベンチで隣に座って監督の言葉に耳を傾け、3年になると監督よりも先にチームへ指示を出すようになったという。「木内さんがいなかったら今の自分はない。親以上の存在です」と懐かしむように話した。

 来季からはDeNAの2軍監督に就任し、恩師と同じ指導者の道を歩む。故人が入院する前日の10月28日に87年準優勝時のエースで常総学院・島田直也監督と取手市の自宅を訪れ、就任を報告。それが最後の機会だと分かっていたようで声がほとんど出せない状態でも、喜んでいる様子だったという。「元気だったらどんな話をしてくれたんでしょうね」。でも、故人の教えは心に焼き付いている。

 「(木内監督の教えは)考えて野球をすること。状況を考え、状況に応じた答えを出しなさい、と。プレー前に考えて準備する」。育成、チーム力の底上げを担う2軍監督として、その教えを着実に生かす。この日、厳しくも優しかった故人を思い、意を強くした。

 遺影の写真は優勝した01年センバツ当時のもの。甲子園で野球ができる喜びにあふれた表情で、教え子の門出にほほ笑みかけていた。(秋村 誠人)

 《戒名に「常光」と「摂取」》木内氏の戒名は「常光院摂取球誉幸叡清居士(じょうこういんせっしゅきゅうよこうえいせいこじ)」となった。「常光」は常総学院で「常に光り輝いていた」、「摂取」は取手二で「選手を集め、新しいものを取り入れた」、「球誉」は「野球で茨城県民栄誉賞、取手市名誉市民など名誉を得た」という意味。「叡」には「考え深い」の意があり、故人の球跡をたどり表すものとなった。

 ◆主な参列者 中島彰一(日本製鉄鹿島監督)、仁志敏久(DeNA2軍監督)、島田直也(常総学院監督)、小菅勲(土浦日大監督)、松沼雅之(解説者、茨城トヨペット投手コーチ)、金子誠(日本ハム野手総合コーチ)、前田三夫(帝京監督)、内田靖人(楽天) =順不同、敬称略

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