Honda、11年ぶり優勝へ王手 佐藤が10回2死タイブレークで満塁弾!父は元ヤクルトの真一氏

[ 2020年12月3日 05:30 ]

第91回都市対抗野球・準決勝   Honda6―2セガサミー ( 2020年12月2日    東京D )

<セガサミー・Honda>勝ち越し満塁弾に喜びを爆発させるHonda・佐藤(撮影・木村 揚輔)
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 準決勝2試合が行われ、Honda(狭山市)はセガサミー(東京都)を延長10回タイブレークの末に6―2で下し、優勝した09年以来の決勝に進んだ。ヤクルトなどで活躍した佐藤真一氏(55=来季からヤクルト2軍外野守備走塁コーチ)の長男で4番の竜彦外野手(26)が10回に決勝の満塁弾を放った。NTT東日本(東京都)は日本新薬(京都市)を1―0で下し、優勝した17年以来の決勝に進んだ。

 11年ぶりの決勝に導く打球はバックスクリーンへ一直線に伸びていった。飛距離133メートルの特大満塁弾。佐藤は右手を突き上げ、ガッツポーズを決めた。

 「打った瞬間、入ったなと。8回にチャンスで打てなかったので“今度こそ絶対打つ”と思った」。8回の好機に三振に倒れた4番。タイブレークに突入した延長10回2死満塁では甘く入ったツーシームを迷いなく強振した。試合を決める一撃は4番の意地だった。

 東京ドームは思い出深い球場だ。03年8月10日の巨人―ヤクルト戦。当時、小学3年生の佐藤はスタンドで観戦し、目に焼き付いた光景がある。1点を追う9回にヤクルトに所属していた父の真一氏が代打で登場すると、右中間スタンドへ同点弾を打ち込んだ。悠然とベースを一周する父の姿がいつもより大きく見えた。誇らしかった。父の姿に憧れた息子は野球を始めた。

 17年の時を経て、思い出の球場で躍動する。予選では打順を8番まで下げるなど不振だったが、本大会前に調子を上げて4番の座を勝ち取った。初戦の大阪ガス戦で3ランを放つなど18打数8安打の打率・444、2本塁打、8打点。父の教えも実践し、4番の重責を果たしている。

 「ネクストバッターの時に大きくスイングすること。緊張もほぐれると教えてもらった」。勝負どころでリラックスすることを心掛け、決勝の満塁アーチという最高の結果を出した。「父には4番として、しっかり勝利に貢献する姿を見せたい」と意気込みを語った。11年ぶりの優勝を懸けた、3日の決勝でも父譲りの勝負強い打撃を見せる。それが最高の親孝行になる。(柳内 遼平)

 ▼父・佐藤真一氏(息子の決勝満塁弾をテレビで見届け)こういう場面でなかなか打てない。打った瞬間、抜けてくれと思った。(スタンドに入って)正直びっくりした。チームに貢献できてよかった。うれしい。

 ▽03年8月10日 巨人・ヤクルト戦VTR 延長12回、5時間26分の死闘の末に11―11で引き分け。ヤクルトは1点を追う9回に代打・佐藤が右中間に同点の4号ソロ。ここまで4本全てが代打本塁打、うち巨人戦が3本目で勝負強いベテランは「負けなくてよかった」と振り返り、若松監督も「佐藤がよく打ってくれた」と感謝した。

 ◆佐藤 竜彦(さとう・たつひこ)1994年(平6)11月21日生まれ、東京都出身の26歳。国学院久我山では2年春にセンバツ出場。立大では3年秋にリーグ戦デビューし、4年春、秋ともリーグ最多の打点を記録した。Honda入社4年目。昨年は社会人日本代表でアジア選手権出場。1メートル82、82キロ。右投げ右打ち。

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