日本ハム・田中賢 引退会見一問一答、この1年「充実しつつ、さみしさも」「旅行したい」

[ 2019年9月27日 14:16 ]

引退会見後、日本ハム球団職員から花束を贈られ笑顔の田中賢(撮影・高橋茂夫)
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 今季限りで現役を引退する日本ハムの田中賢介内野手(38)が27日、引退試合となるオリックス戦前に札幌ドームで会見を行った。

 【冒頭あいさつ】

 「今日で20年間の現役生活が終了する。これまでたくさんの方々の応援があってここまで長くやってこられたと思っています。心から感謝しています。今日1試合残っていますので、最後まで全力で頑張る姿を皆さんにお見せできればいいと思っています」

 【一問一答】

 ――引退の日を迎えて、どんな気持ちか。
 「今までプロ野球生活で寝られないということはあまりなかったが、昨日は寝られなかった。ちょっと眠たいです」

 ――昨年の引退表明から、どんな気持ちでプレーしてきたか。
 「今まで応援してくれた方々への感謝を込めてプレーすると決めた1年。今までと違う野球への取り組み方、気持ちの持ち方でやってきた。毎日が充実しつつ、さみしさも日々感じる1年だった」

 ――シーズン終盤、各球場でねぎらいを受けてきた。
 「ファイターズファンだけでなく、各球場で違うチームの方々も花束贈呈、セレモニーをしてくれたことに感謝しているし、野球ってそういう枠を超えて素晴らしいスポーツだと改めて実感した」

 ――家を出る時、家族からの言葉は。
 「子供が2人いて、上の子は僕がやめることを分かっていて、これからたくさん時間ができるので喜んでいるのかなと思っていたんですけど…。(涙をこぼし)朝、さみしそうな感じだったので…」

 ――どんな20年間だったか。
 「あっという間に過ぎた20年間。自分一人では到底出来なかったし、たくさんの方の協力に感謝しています」

 ――影響されてきたた人、言葉は。
 「数え切れないほどいて、強いて挙げるのは難しい。場面場面で出会うべくして出会った人たちに支えられながらやれたのは、幸せだった」

 ――印象に残っているシーンは。
 「やはり2006年の日本シリーズで日本一になった時。これが僕の中で一番大きな出来事、一番幸せな時間だった。それまで6年間2軍生活が続いた中で、やっとレギュラーになれて、なおかつチームも僕の入団当時から改革を始めて、それが実を結んだのが2006年だったので」

 ――移転した北海道で成し遂げた意味は。
 「みんな北海道に来て良かったなと思ったし、北海道にファイターズというチームが根付いた瞬間だった。北海道は右も左も分からず住み始めたが、今となってはふるさとみたいになっている」

 ――昨年に引退表明。後輩も田中賢のために、と戦ってきた。
 「昨年に引退発表したことでいい面も悪い面もあったと思うけど、後輩は思いをくんで戦ってくれた。ファイターズはもっともっと北海道に根付いて、強いチームになっていかなければいけない。後輩に頑張ってほしい」

 ――20年間でこれだけは譲らなかった、というもの。
 「強いて言えば、自分の生きる道は自分で決めるということ。昔から父によく“自分で決めろ”と言われた。高校に入る時も…(再び涙)、アメリカに行く時も、やめる時も自分で決めてきた」

 ――田中賢介にとって、野球とは。
 「小2で始めて31年間、ほぼ野球しかやってこない生活。生活の一部になっていたし、今後も切っても切れない縁。体の一部、人生の一部という感じ」

 ――体の一部である、野球のプレーをすることがなくなる。
 「野球をしない生活の想像がつかないが、家族との時間が増えるのは楽しみにしている。北海道に住んでいながら行けていなかった地方に旅行に行けたらいいなと思っている」

 ――誇れる数字。
 「ないですね。よくやったとも特に思わないし、数字も悪くはないが、特別良くもない。誇れる数字はないですけど、ただ、自分がレギュラーで出ているシーズンでずっと優勝争いできたというのは誇りに思っている」
 

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