オリックス・岸田 ケガと戦い続けた14年 引退決意した男の本音「また投げたいって…」

[ 2019年9月20日 19:35 ]

<オリックス 引退会見> 印象に残った選手を聞かれ、悩む岸田 (撮影・平嶋 理子)
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 「やっぱり見るとね、また投げたいって思うわ…」。9月20日、京セラドームで行われた引退会見の直後だった。一塁側のベンチ脇にある通路から、スーツ姿でマウンドを見つめたオリックス・岸田護投手(38)は少しだけ、目を潤ませた。誰からも慕われる人柄で、周囲を気遣い、弱音を見せない。そんな男が、ロッテ戦に臨むチームメートに視線を送りながら絞り出した本音を聞き、グッときた。

 ケガと戦い続けた。「生まれつき」という柔軟性を武器に、全身をムチのようにしならせて躍動する投球スタイル。しかし、加齢と勤続疲労は柔軟性を奪い、ゴムのような反発力は劣化していった。「足首はグニャグニャで、捻挫しやすいくらい。柔らかいというか、もう間接が緩い」。アップの際のシューズには、野球選手では異例と言える足首を覆うハイカットタイプを使用し故障防止に努めるなど模索した。それでも度重なる故障は特に下半身に集中した。「内転筋は10回以上痛めたし、両足も、よく肉離れになったし」。かねてから抱える腰痛をかばい、その負担が他の箇所にシワ寄せとして表れた。

 原動力の一つが、7歳になった長女の存在。最後の先発勝利は14年4月2日楽天戦となった。

 「まだ2歳だったからね、覚えてないんよね。オフも休まずに練習してたから。家族にずっと我慢してもらった。どこか連れて行くわけでもなしに。娘からはずっとディズニーランドに行きたいって言われていたけど、“ごめんやけど…”って。(2軍で)練習を終えて家でテレビでナイターを見ていると、“なんでパパは出ていないの?”とかって言われてね、“練習してきたよ”って」。父の勇姿を見せてあげてほしかった。背番号18の重い決断に、胸が詰まる。(前オリックス担当・湯澤 涼)

 ◆岸田 護(きしだ・まもる)1981年5月10日、大阪・吹田市出身の38歳。履正社では1年からベンチ入りし、夏の甲子園に出場したが登板なし。東北福祉大を経てNTT西日本に入社し、05年の都市対抗野球で準優勝に貢献。同年の大学・社会人ドラフト3巡目でオリックスから指名を受け入団。通算432試合で44勝30敗、63ホールド、63セーブとチームを支えてきたが、14年目の今季はここまで1軍登板がなかった。

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