2011年夏の甲子園V腕・吉永健太朗さんが野球から離れた理由 大学時代に「投げ方がわからなくなった」

[ 2022年9月18日 21:44 ]

2011年、夏の甲子園で優勝投手となった日大三・吉永
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 2011年の夏の甲子園で優勝投手となった吉永健太朗さん(28)が18日放送のTBS「THEプラチナリスト」(後9・00)にVTR出演。現在は一般企業の会社員として務めており、野球から離れた理由を明かした。

 番組では【夏の甲子園優勝投手!歴代30人の人生を追跡】をテーマに、甲子園優勝投手のその後を追跡。日大三の吉永さんは決勝戦で青森県代表の光星学院を完封するなど甲子園6連投で優勝に導いた。武器だったシンカーについて当時高校野球を取材していた侍ジャパンの栗山監督がVTR出演し「特別な球だった。これ何投げてんの?っていう。世代最強。僕が一番楽しみにしてたピッチャー」と振り返った。

 吉永さんは日大三卒業後は早大に進学し1年生から神宮のマウンドに立つなど活躍。だが、「ちょっと感覚がおかしいなと。スピード出そうと思うとストライクが投げられなくなって。やりたいけど出来ないみたいな。投げ方がわからなくなってしまった」とフォームを崩してしまった。

 フォームのバランスを崩して焦りもあった吉永さんは「高校3年生の時に一番良かったっていうところ。甲子園優勝した時の姿に戻ろうとしてしまったっていうのが一番よくなかった。過去に縛られて苦しんだ時期があった」と振り返った。

 大学卒業後は社会人野球の強豪・JR東日本に入社したものの4年で現役を引退し「悲しいっていうよりは悔しい。もっとやりたかった思いが強い」と胸中を明かした。「甲子園優勝投手」について吉永さんは「いい時も悪い時もたくさんの方に支えていただいて、野球引退するまで頑張ることができたので、答えでは(甲子園優勝投手で)良かったという一択」と晴れ晴れとした表情で語った。

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