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こだわり旬の旅

【和歌山・みなべ&田辺】生誕150年・南方熊楠 ゆかりの地で感じた天才の息遣い

[ 2017年5月4日 05:34 ]

南方熊楠邸で見学できる書斎。当時のままに再現されている
Photo By スポニチ

 粘菌(変形菌)発見などで世界的博物学者といわれた南方熊楠(みなかたくまぐす)が生まれてから150年。その偉業に触れようと、人生の半分を過ごした和歌山県田辺市と隣のみなべ町を訪ねた。梅の生産を持続してきた農業システムが世界農業遺産に認められたことでも知られる両市町。熊楠、梅という2つのレガシーに“日本の宝”を見るような思いだった。

 和歌山市出身の熊楠が田辺を訪れたのは1904年(明37)。気候、人情とも穏やかで物価も安いことからしばらく滞在するうち、知人の勧めで弁慶の父が源平合戦の際に紅白の鶏を闘わせたといわれる闘鶏神社の神官の娘と結婚。1941年(昭16)に永眠するまで終のすみかとなった。

 その間の25年を過ごしたのがJR紀勢本線紀伊田辺駅から徒歩14分の「南方熊楠邸」(入場料300円)。大切な研究の拠点でもあり、家屋は往時の姿に再現。庭には新種の粘菌「ミナカテルラ・ロンギフィラ」を発見した柿の木も残っている。隣の「南方熊楠顕彰館」(同無料)では邸内の書庫にあった書物や日記、論文など2万5000点以上を収蔵。展示なども行われているが、熊楠の生涯を知るなら今年3月に新館がオープンした「南方熊楠記念館」(同500円)がお薦めだ。

 同線白浜駅からタクシーで15分。2年前、国立公園に指定された番所山の高台に位置し、新館は粘菌をイメージして曲線を活かしたデザイン。2階には熊楠の幼少青年期の成績表やキャラメルの標本箱、デスマスクなど約800点の遺品が展示されている。中でも目を引くのは8歳から江戸時代の百科事典105巻を書き写した抜書と、個人では最多の51本の論文を寄稿したという科学雑誌「ネイチャー」。十数カ国語を駆使し、柳田國男をして「日本人の可能性の極限」といわしめた天才ぶりには脱帽だ。

 屋上に上ると、自然保護のため明治政府の神社合祀政策に反対して熊楠が守った神島(かしま)を望むことができる。1929年、昭和天皇が南紀行幸の際、熊楠がお迎えした島でもあり、記念館前には「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と熊楠を詠んだ昭和天皇の御製碑。「エコロジーの先駆者」といわれる熊楠を、天皇がいかに心に留めていたかが分かる碑だ。

 熊楠は紀伊田辺駅から徒歩25分、田辺の市街地を一望できる高台にたたずむ高山寺の墓地に眠るが、寺苑には熊楠がよく訪れ、周囲の森で粘菌の新種を初めて発見した猿神社がある。神社合祀政策によって神木が伐採され、熊楠が反対運動を始めるきっかけになった場所。今は小さなほこらが祭られているだけだが、熊楠の思いが詰め込まれているような気がした。

 ▽行かれる方へ 南紀白浜空港からバスで約30分。車は阪和道南紀田辺ICから5分。問い合わせは田辺観光協会=(電)0739(26)9929、南方熊楠顕彰館=(電)同(26)9909、南方熊楠記念館=(電)同(42)2872。

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