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こだわり旬の旅

【千葉・房総】「どうする家康」で異彩 本多忠勝の居城を訪ねる 最強武将は井戸も最強だった

[ 2023年3月13日 19:00 ]

三層四階建ての天守閣造りという堂々とした構えの大多喜城
Photo By スポニチ

 NHKの大河ドラマ「どうする家康」で異彩を放つ徳川四天王の1人、本多忠勝が初代城主を務めた千葉県大多喜町の大多喜城を訪ねた。続日本100名城の一つで、県立中央博物館大多喜城分館となっているが、博物館とは思えない立派な城構え。隣の鴨川市には、“現代の城”ともいえそうな無人運営の1棟貸し切りヴィラが誕生。宿を取り、昼夜で殿様気分を味わった。

 「残念だけど今、改築中で、城内が見られないのよ」。駐車場そばの土産店のおばさんにそう言われ、5分ほど坂道を上って到着した大多喜城。その姿を目にした途端、心配は杞憂に終わった。

 三層四階建ての天守閣造りという堂々とした構えと、野面積みなどで造られた石垣。周囲を土塁が巡り、屋根の丸瓦には「丸に立葵」の本多家の家紋が見え、博物館のイメージはまるでない。坂道の途中には水のない空堀や藩主の御殿があった二の丸公園などもあり、戦国時代にタイムスリップしたよう。勇将といわれた忠勝の居城という期待を裏切らなかった。

 夷隅山系の山々や夷隅川に囲まれた標高73メートルの山頂にある平山城で、1521年(大永元)に築かれ、1590年(天正18)に天守を持つ近代城郭に改築された大多喜城。初代藩主が忠勝で、当時房総最大の10万石の領土を統治。明治政府による廃藩置県とともに廃城となったが、1966年(昭和41)に県史跡「上総大多喜城本丸跡」に指定されたことで75年(同50)9月、博物館として城郭が建てられた。

 現在、耐震補強の工事中で内部を見ることはできないが、代わりに敷地内の研修館で開催中の「大多喜城と城下町」展(無料)を見学。中世の大多喜城や本多3代と大多喜藩などのパネル、城周辺の地図、刀剣、鹿角付きのかぶとと肩からかけた大念珠が特徴の忠勝の甲冑などを展示。当時の様子をうかがわせる。

 だが、それ以上に大多喜城がしのばれるのが、隣接する県立大多喜高の敷地にある遺構だ。「薬医門」は1842年(天保13)の火災後に建てられたといわれ、二の丸御殿で使用されていたもの。明治期に民間に払い下げられ、後に同校に寄贈されて、1973年(昭和48)に復元されたという。

 通称「底知らずの井戸」は忠勝の時代からの遺構で、当時は8個の滑車と16個のつるべ桶が取り付けられ、底尽きることなく水が湧き出たことから、そう呼ばれていたとか。周囲17メートル、深さ20メートルの大きさは国内トップクラスだそうで、「家康に過ぎたるものあり」と武田の武将に言わしめた忠勝の勇将ぶりを、ここでも見た思いだった。

 ▽行かれる方へ いすみ鉄道大多喜駅から徒歩15分。車は圏央道市原鶴舞ICから国道297号利用で20分。薬医門と井戸跡は高校の敷地にあるため、マナーを守って見学を。3月下旬~4月上旬に桜が見頃。

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