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こだわり旬の旅

【岐阜・関ケ原】家康は、三成はどうした?ド迫力映像で体感する“天下分け目の6時間”

[ 2022年9月16日 15:00 ]

総工費約50億円で2年前にオープン。10月の大祭を待つ岐阜関ケ原古戦場記念館
Photo By スポニチ

 来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」へ向け、徳川家康ゆかりの観光地の期待は高まるばかりだが、関ケ原の戦いが行われた岐阜県・関ケ原町もその一つ。家康VS石田三成の“天下分け目の戦い”をより多くの人に知ってもらおうと、2年前に記念館を設立。10月には大祭の開催を予定するなどテンションはアゲアゲ。そんな“戦いの町”を武将気分で歩いた。

 「小早川(秀秋)の援軍はまだ来ぬか」――。1600年(慶長5)旧暦9月15日に繰り広げられた関ケ原の戦いで三成が構えた笹尾山陣跡(標高198メートル)の展望台に立つと、岐阜関ケ原古戦場記念館のシアターで観た映像の三成の声が聞こえたような気がした。

 2020年(令和2)10月、JR東海道本線関ケ原駅から徒歩8分の地にオープンした同記念館。砦を模した5階建ての近代的建物で、1階のシアターでは縦4・5メートル、横13メートルのオーバル(曲面)スクリーンの映像で、振動や風などの演出を施しながら、戦いの1日を臨場感たっぷりに再現。360度全面ガラス張りの5階展望室から見える戦場跡のリアルな景観にも刺激され、笹尾山まで30分歩いてきたのだ。

 157段の階段を上って行く、その陣跡からは戦場が一望の下。正面には家康が最終的に布陣した、記念館そばの床几(しょうぎ)場・最後陣跡、右手にはいち早く臨戦態勢を取った大谷善継の陣跡、その向こうの松尾山には小早川の陣跡(同290メートル)などを望むことができ、戦況を見ながら優位に戦えたことがうかがえる。それがまさかの小早川の寝返りによって敗走。その時の三成の心境はいかばかりだったか。それを思うと、しばらく体が動かなかった。

 これに対し、家康が最初に構えた、記念館から徒歩35分の桃配(ももくばり)山の陣跡から戦場はまったく見えない。家康は西軍の善戦に焦り、最後は最前線近くに本陣を移したわけだが、自身は先頭に立たず後方で駒を動かしたとの見方もでき、家康らしいしたたかさを垣間見た気がした。

 東軍7万4000人、西軍8万4000人。朝8時に始まった合戦はわずか6時間で終わったが、最も戦いの激しかった決戦地は記念館から徒歩約15分の場所にある。さらに10分ほど歩くと、東軍の井伊直政隊が西軍の宇喜多秀家隊に発砲したことにより、決戦の火ぶたが切られた開戦地に着く。ともに石碑が建ち、のぼりがひらめくだけ。その静けさが時のうつろいを感じさせた。

 戦いから422年。10月8~10日には記念館や笹尾山駐車場などで「大関ケ原祭」を開催。俳優の松平健、竹下景子、小和田哲男館長によるトークショーやプロジェクションマッピングなどが行われるが、今度はどんな“東西対決”を見せてくれるか。歴史ファンならずとも楽しみだ。

 ▽行かれる方へ 関ケ原駅からバスはなく、車も細い道が多く不便。歩くのが一番で、記念館(入館料500円)で電動自転車(1日2310円)を借りるのもいい。ガイド料は1人500円から。問い合わせは記念館=(電)0584(47)6070、関ケ原観光協会=(電)同(43)1600、史跡ガイド事務局=(電)同1139。    

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