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【コラム】西部謙司

サッカーとパワーハラスメント

[ 2019年8月15日 19:00 ]

湘南・チョウ貴裁(キジェ)監督
Photo By スポニチ

 湘南ベルマーレのチョウ貴裁(キジェ)監督にパワーハラスメントの疑いがあるという。さまざまな報道が出ているが、事実がどうなのかはまだわからず、筆者はチョウ監督にパワハラがあったかどうかについて言及する立場にはない。ただ、サッカー界全体についていえば、パワハラはあるだろうという想像はできる。

 パワハラ、セクハラというのはここ30年ほどで定着してきた言葉だと思う。筆者が会社に勤めていたころは、はっきり言えばパワハラ、セクハラだらけだった。スポーツの現場はそれ以上で、今では体罰とされている罰走などはやっていないほうが少なかったに違いない。もっと直接的に殴る蹴るの暴行も日常的に存在していた。筆者が高校生のころは監督にビンタを食うなど毎度のことで、とくに何とも思っていなかったものだ。「今日は殴られていないので調子が出ない」などと冗談を言い合ったりしていたぐらいだった。自分が大学生のときは後輩に平手打ちをしたこともある。そういう環境で育ってきた世代にとって、パワハラといわれてもいまひとつピンとこないのは理解できる。

 しかし、現在パワハラはあってはならないことと一般的に認識されるようになっているし、スポーツ界でもパワハラを根絶すべく啓蒙が進んでいる。これは日本だけの問題ではなく、「軍隊式」と呼ばれるような古い慣習からくるトレーニング方法からの脱却はヨーロッパでも問題になっていた。FIFAが掲げていた人種差別撲滅と同種の話であり、時間と議論を重ねてきた方向性に逆行することはないだろう。今回の件を契機に現場指導の精査が行われ、結果的にパワハラだらけということになったとして、もう数が多すぎるので不問に付すということはできないはずだ。たとえパンドラの箱を開けるような結果になったとしても。

 プロスポーツが特殊な世界であるのは、そのとおりだ。パワハラかどうかは「業務の適正な範囲を超えて」いるかどうかにかかっているが、プロサッカーにおける「業務の適正な範囲」は一般企業と違っていると解釈すれば、パワハラの認定範囲も自ずと狭くなる可能性はある。ただ、労働者保護という観点からすれば「プロスポーツは例外」とするのは難しいと思う。

 1995年のボスマン判決は、従来のサッカー界の慣習をひっくり返している。ベルギー2部リーグの選手だったジャン=マルク・ボスマンが訴訟を起こしたとき、最終的に欧州司法裁判所で従来のサッカー界の慣習が否定されるに至ると考えた人はいなかっただろう。スポーツ界の慣習など、法の前では何の意味も持たないと気づいたときには手遅れだった。ずっとそれで上手くやってきた、それの何が悪いのだ、そういう言い分はいっさい通らなかった。

 パワハラと聞いても「その程度のこと」と思う人も多いのが現状だと思うが、その認識は少なくとも時代遅れなのだ。(西部謙司=スポーツライター)

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